リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した

意味深い生物学的な特別プログラムの

様々な統括

特別プログラム

ゲルマニッシエ ハイルクンデ®においてはもはや「病気」という言葉は使われない。何故ならこの意味づけは 第二の生物学的な法則 (2相性の規則)の意味において間違いやすいからである。正しくは特別プログラムと呼ぶべきであり、それは母なる自然 のこの大地に創生された我々に、生物学的な葛藤に対処できるようにと与えられた(脳内に「プログラムされた」)物事だからである。

特別プログラムが活発な相(葛藤が活発なときと呼ばれる)では、その関わっている個体(人間あるいは動物)は必ずしも「病気」であると感じるとは限らない。しばしばその個体は、我々の社会において良い意味の積極性として捉えられている超活動的な状態を示す。また反対に、この特別プログラムが2番目の相である治癒相(葛藤が解決されることができ、強制的に治癒相に入った)にあるとき、その個体はしばしばなるほど「病気」であると感じる。しかしここにおいて、我々が習いにしていることであっても、「病気」と呼び否定的に評価することは、馬鹿げたことである。

事実は我々がこれまで、2相性の法則を知らなかっただけである!

人が彼の生物的な葛藤を解決しようと彼のすべての力を使って試み、そのためほとんど眠らず、ほとんど食べず、超活動的であるとき、彼は「病気」であると言えるのか? あるいは、その葛藤を解決することができて、この大変な頑張りによる消耗から体を回復させなければならない時、また有機体において起こる補修行程にあるとき、彼は「病気」であると言えるのか?

さらなる重要な理由は次のようなことである:

「病気」という言葉は、我々の社会において否定的に植え付けられている;人は病気に対し「戦わなくては」ならず、「撲滅」しなければならない! 我々は「病気」が、直さなければならない自然の故障であると言ってきた。熱は良くない、下げなくてはならない。痛みは良くない、闘わなくてはならない。倦怠感は良くない、それに対して絶対何かしなければならない!

まったく間違いである! 母なる自然が馬鹿なことをするとか、あるいは完璧ではないと言ったりして侮ることは、頭が悪くて理解できないか、間違いを冒しているか、あるいは悪意のある場合である... 

自然は冗談を全く理解しない、それは常に真実であり、常に大真面目であり、常に厳しい。自然は常に正しく、そして間違いと誤りを犯すのは常に人間の側である!

ゲーテ

熱、痛み、疲労感等々は単に様々な特別プログラム(ほとんど常に治癒相)に属するものである。これらの症状は疑いの余地なく不快であることを除けば、翻ってその生物学的な意味を持っており(例えば足の骨折後の痛みは、足を静かにさせることを保証し、それにより良好な回復への条件を保証する)、むやみに症状に対しこれを「撲滅する」ことは許されない。大変しばしばモルヒネを使用した「現代的な鎮痛医療」の行く先は、古来からある墓場でしかない。しかし、だからといって不快感、居心地の悪さ、痛み等々に対して何もしてはならず、何もできないということではない!すべて患者の快復につながること、つまり、自然が与えた5つの生物学的な自然法則に対して逆らうことでなければ、しても良いのである! 

ハーマー博士から医師と治療士の方々へ要求することは:

 

あなた方を信頼して来る患者さんたちのために、自分自身と自分の妻や子供たちにするであろうことをしなさい!

   

著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー博士に帰する

翻訳:日本語作業チーム