リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した
意味深い生物学的な特別プログラムの
様々な統括
皮膚疾患
ゲルマニッシエ ハイルクンデの知識によれば、なかでも腫瘍とがんと等価の病気の個体発生のシステムに基いて、皮膚には2つの種類があり、それらは重なり合ってはいるが、大変異なった組織学上(細胞の)の構成で、元々はそしてまた部分的には今日においても大変異なった役割を果たしており、また全く異なった脳内のリレーにより司られている。
いわゆる真皮、また下皮あるいは皮革皮膚と呼ばれるものは、小脳により司られる。
この真皮の付随組織の一つは、例えば女性の胸及び、基本的に動物において2列に上から遡求部まで形成されている、すべてのいわゆる乳竿である。
黒色腫/色素沈着性でない黒色腫
この真皮は、汚されたと感じる葛藤の際に、あるいはひどい状態にされたと感じる葛藤の際に、DHSによって生物学的な葛藤のショックに襲われると、その個体がひどい状態にされたと感じたその部分に、黒色腫あるいは色素沈着性でない黒色腫を起こす。
色素を持たない黒色腫のことを、我々は色素沈着性でない黒色腫と呼んでいる。
我々は、それらが色素を含んでいるとき、また黒あるいは青色の場合、黒色腫と名付ける。このような種類のもので、女性の胸の(せん様の)がんである場合に限り、色素沈着性でない黒色腫と呼べる。
黒色腫は元々(元々というのは、皮革皮膚以外の皮膚を持っていなかった、我々の発展の歴史上の祖先)、他の個体に対するその個体的な統合に境界を与える、そしてまた他の仲間の個体(子供あるいはパートナー)と共にコミュニケーションを図るという意味と役割を同時に備えていた。
個体が攻撃あるいは醜くされることによって、共同体への参加が阻まれ、またその度合いが生物学的な葛藤を起こさせるほどに強い場合、その個体は攻撃されたその箇所に防塁のようなもの(せん様=古い脳に司られるがん)を形成した。それは外部に対し、組石壁と同様に堅固にするものであった。
この局所的な防塁を、これまで我々は黒色腫あるいは色素沈着のない黒色腫と呼んでいた。その際我々は有色の黒色腫を、自身を醜くされたと感じる偶然的な位置に、肝斑が引き込まれたものと見なす。
肝斑は、黒色色素体を含有する我々の皮膚の残された島であり、かつて強過ぎる太陽光線に対抗して色素を伴って体全体にかぶさっていた物であり、今日まだ有色人種に見られるように、いわゆる白色人種あるいは色素欠落の人々よりは確かにより良く人類の元々の状態を反映しているものである。それによれば、人類の故郷は衣服の必要ない亜熱帯の気候にあったことになる。黒色腫は、すでに述べたように葛藤が活発な相において細胞増殖を伴って成長する。葛藤が解決した治癒の相においては、それらは通常真菌あるいは真菌性バクテリアによって乾酪化を通して解体され、また再吸収される。
皮膚結核
例えばいわゆる皮膚結核というものがある場合、それは上記のような乾酪化した黒色腫の治癒相であり、その際外側の外皮においては何も確認できず、つまり外皮は完全な状態であり、その下で黒色腫が解体される。
その意味するところは、皮膚結核は例外なく真皮結核であるということである。
ニキビ
これはとりわけ、例えば思春期の若者が特に顔において汚されたと感じるときに発生し、またいわゆるニキビは次のような場合に罹患する:真皮の黒色腫の小さな島が、外部へ押し出され得る場合。
現代医学は、とりわけ細胞増殖あるいは細胞減少に関して、真皮と外皮がそれぞれ葛藤が活発な相あるいは葛藤が解決された相において、全く逆の方向にふるまうという事象を何も認識することがなかった。
ゲルマニッシエ ハイルクンデにおいて初めて説明された相関関係についての理解が欠落していたため、皮膚科医はただ症状の状態を観察できるのみであった。そのためその治療は常に、ただ「対症療法的」に過ぎず、つまり軟膏、チンキ剤及び最悪の場合は健康な部分まで大きく切除することであった。
外皮には上部側と下部側がある。下部側は真皮との境界に接している。上部側は我々が外部の皮膚として感じられるものである。この外側の皮膚は層状扁平上皮の細胞からなり、また我々の大脳皮質の中心溝の感覚野によって司られている。
アトピー性皮膚炎
子供あるいはパートナーが引き離される葛藤のショックに見舞われる場合、我々は皮膚における潰瘍を観察するが、ほとんどの場合顕微鏡的にしかそれらを観察することができない。しかし我々は、そこでは皮膚がベルベットのように柔らかくはなく、荒れているのを感じることができる。この病気も我々はまたアトピー性皮膚炎(葛藤が活発な相!)と呼ぶ。
発疹/皮疹
生物学的な葛藤の解決の後、治癒相においては、皮膚は腫れ上がるが、これは我々が発疹と呼ぶものであり、水腫の形成を伴い、また潰瘍を新しい層状扁平上皮の細胞によって基盤からゆっくりと充てんしていくものである。
ヴィティリゴ(いわゆる白斑病)
外に向かうそれと同様の経過が、また内向きにも見出されるが、つまり皮革皮膚に向かってである:そこに潰瘍つまり皮膚の損傷がある場合、そこには色素を含有した層状扁平上皮がほぼ見えない潰瘍として解体され、それにより白い斑点が発生する(白斑病)ため、我々はそれを常にいわゆるヴィティリゴとして分類する。すなわち、我々は大変強く色素を含有した真皮の中のメラニン色素の層と、また弱く色素を含有したメラニン色素の層を層状扁平上皮の下側に持っているのである。
そのヴィトリゴの生物学的な葛藤は常に、感情的に大変強く結びついている人との、ある大変残酷な別れであり、別れの中でも大変醜い形で起きたものである。
例:若い女の子が、彼女の父親がバイクの事故で亡くなり、脳みそが道路に出てしまったと聞かされた時。
これら両方の種類の潰瘍は、それぞれ生物学的な葛藤の原因として別れの葛藤をもっている。別れは動物の世界において、大変高く位置付けられており、それは個体の社会行動全体を相互に統制しているため、人間の脳でさえも運動野の4~5倍の容量を占めている。
皮膚疾患
潰瘍の位置決定は葛藤の種類によって、あるいは葛藤の内容によって左右される:例えば、すべてのロンパースを着た乳児たちは、生物学的な別れの葛藤に遭遇すると、そこにおいて母親との接触が断たれるため、ほとんどすべて頬のアトピー性皮膚炎で反応する。。
脱毛症(脱け毛)
毛髪はほぼ皮膚の層状扁平上皮の変形である。おばあちゃんからいつも手で髪の毛をなでられていた若い人は、大好きだったおばあちゃんが予期せず亡くなったとき、円形脱毛症で反応したが、すなわち頭の真ん中の円形のはげの形成である。彼が葛藤を解決できて初めて、髪の毛はまた再び生え始めた。
神経線維腫症/レックリングハウゼン病
さて別れの葛藤の他に、我々にはしかしまた反対のものがある:人が誰かから触れられたくない時である。我々はその場合いわゆる神経線維結腫すなわち皮膚の下のしこりで反応するが、その際もともと層状扁平上皮の増殖に関することなのか、あるいはただいわゆるシュヴァン細胞腫、すなわちここでは神経の結合組織の鞘部分に関することであるのかを、誰もはっきりとは知らない。後者の種類において病理組織医はこの症状を神経線維腫症であると見ている。しかしながら、その意味するところは:身体は希望しない接触を、当初から全く脳に伝えないために、ほぼ誤嚥のように処理する。
例:自分の娘に何年ものあいだ性的虐待を加えていた父親が、常に娘を片手で頭の後ろを捕まえ、反対の手で腿を掴んでいた。まさにその両方の位置に神経線維腫症(またレックリングハウゼン病とも呼ばれる)が現れた。
基底細胞がん
基底細胞がんは、いわゆる角質化した層状扁平上皮がんである。我々は、それを我々の術語に従えば、限局性の潰瘍の経過のひっかかった治癒状態であるとする。
常に解決されるのであるが、しかし例えばしばしば繰り返される夢などにより、治癒の完結の前に小さな葛藤の再発が間に起こってくるため、決して終わりまで治癒されることができないような経過を、我々はひっかかった治癒状態として表現する。それによってある一定の治癒へのひと押しが、新しく形成された角質化された層状扁平上皮が存在する状態としてとどまることとなる。そのような経過を我々は皮膚の基底細胞がんと呼んでいる。それは太陽光線にあたるとか、あるいは間違った栄養の取り方とは関係がないことは明白である。
特別な例としては、常にパイプ吸いの基底細胞がんであった。例えばおじいちゃんがこの基底細胞がんにおいて、パイプをどこかに置き忘れて、ほとんどいつもいつも彼のパイプと別れてしまったからである。
少なくとも次のようなことが言えるであろう:皮膚学はこれまでほとんど全く科学的な根拠を持たず、また多かれ少なかれただ対症療法的な科目であったため、すべて新たに方向づけされなくてはならない。その際我々は症状を常に間違って分類し、治癒あるいは発疹の炎症なのか、あるいはアトピーの発疹を常に特別な病気として見たり、あるいは病気が悪化したものとみなしており、潰瘍を伴う葛藤が活発な状態を改善した状態だと信じ込んでいたが、それはしかし全く逆の状態であった。
ゲルマニッシエ ハイルクンデに添って我々が「病気」を今原因から方向性を理解し、また 治療することができるため、また同時にすべての経過をシステム的に理解することを学ぶため、すべてが意味を成し、論理的な状態で整頓されてきたのである。
著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士に帰する
翻訳:日本語作業チーム