いかにしてクロッカスがゲルマニッシェ ハイルクンデのシンボルになったのか?
エヴァ・ライメル 2020年10月21日
2000年代の初め、ハーマー博士はスペインで亡命生活中であった。彼の素晴らしい発見が世間で受け入れられなかったため、彼は大変絶望的になっていた。ある夜彼は一輪の柔らかなクロッカスが固い雪の覆いを貫いて、自分の道を切り開く夢を見た。ハーマー博士はこの夢を象徴的なもの、またお告げとして理解した。クロッカスと全く同じように、ゲルマニッシェ ハイルクンデ(当時は「ゲルマンの新医学」と呼ばれでいた」)も自由に向かって道を成し、進んで行くであろう。
そうしてハーマー博士は彼のアンダルシアの庭に、多くのクロッカスの球根を植えた。しかしこの花は知られているように、ほとんど寒い地方にしか生育しない。そして実際に:アンダルシアの暑い気候にも関わらず、一輪の大変特別なクロッカスが彼の庭で光への道を闘い抜いた。

ハーマー博士はこのクロッカスを写真に撮り、その写真を2004年7月に「要約版ゲルマンの新医学への導入(仮称)(今日の「ゲルマニッシェ ハイルクンデ」)」の書籍の裏表紙に配置した。
初春に固くなった古い雪の覆いを突き破るクロッカスと全く同じように、ゲルマニッシェ ハイルクンデ(当時はゲルマンの新医学)も、古めかしく、硬直化したもの、生命に敵対するものに対抗して貫徹し、またそれにより当然与えられるべき人々からの是認を得る...そしてそれはクロッカスが咲く時に起こる...。
クロッカスそのものだけでなく、その紫色が優先的な色付けにもある象徴的な意味が込められている。この色は精神的な安定と決断力を表している。それはまた霊感、神秘、魔力(内的な形質変化として理解される)、そして芸術の色でもある。

2005年にアミチ・ディ・ディルク出版社は初めて独自のクロッカスのロゴを使用したが、それは今日までこの出版社のすべての書籍に表わされている。出版社のインターネットのホームページには今日までこのロゴが使用されている。
ハーマー博士が2度目に逮捕された2004年7月、そして彼の「Einer gegen alle(孤独な戦い、弾圧に立ち向かって[仮称])の書籍が発表された後、私はハーマー博士の国際的なホームページ(ポーランド語のホームページは既に1998年から存在していた)を立ち上げ、クロッカスのシンボルを追加的な標語を添えて配置しなくては、という内的な欲求に突き動かされた。
ここにおいて必要な知識を獲得するため、私は8か月のウェブデザインコースを履修した。その後ようやく私はハーマー博士のインターネットのホームページを作業し始める準備ができた。
2006年にスペインのコインを訪れた際に、私はハーマー博士に「私の」クロッカスを提示し、私たちは彼の最初のウェブページの詳細について相談したが、それはその当時まで彼はヘルムート・ピルハー氏のホームページでは、ある程度ただの「ゲスト」に過ぎなかったためである。
新しいクロッカスの花びらは紫の色以外にさらに黄色、オレンジそして赤の色が付けられた。これらの色は子葉の色-内胚葉、中胚葉及び外胚葉のそれぞれの色を象徴している。このクロッカスはハーマー博士の最初のホームページと一緒に、彼の希望で青色の背景色を施されて初めて公表された。同様に彼はウェブページに古いドイツ文字を希望したが、それは彼がすでに彼の書籍に使用していたものであった。2010年にハーマー博士の「乳がん」の書籍が発表され、その中で彼は自分の「ゲルマンの新医学」を初めて「ゲルマニッシェ ハイルクンデ」と命名した。
またその文字のためにハーマー博士は彼の敵方より誹謗中傷された。知識のない人々や、誤解している人々が、この文字は第三帝国と何か関係があることを知っているかのように信じ込んでいる。我々には多くの間違った内容が伝えられている。全く逆である! この文字はナチによって撤廃されたのだ!(ドキュメント1を参照のこと)

私たちの青色の背景をもつ色とりどりのクロッカスは威厳をもって、真っすぐに、屈することなく、そして大変孤独にそこに立っている。当時既に四半世紀に渡って、この素晴らしい、またすべての人に欠くことのできない知識を、世界中のすべての人々に手の届くものにするため、孤独に戦っていた、ハーマー博士に似ている。

2011年(ハーマー博士はこの時点で、すでにノルウェーのサンデフィヨルドに亡命していた)にハーマー博士は私に、彼が創設したサンデフィヨルド大学のためのホームページを作成するように依頼した。
そのドメイン名は次の通りであった:universitatsandefjord.com
そのクロッカスは再び新たにデザイン変更された。ルーン文字の人に当たる、マンナズが追加的に組み込まれた。
クロッカスの中のマンナズは神々と意思の疎通をする一人の人間を表す。我々の先祖のゲルマン人たちが自由であったように、尊厳を持って天に伸ばした両腕で祈る、一人の直立した人間を表している。奴隷のようにひざまづき、負わされた罪で神と神父たちの前に尊厳なく頭を下げなくてはならず目を伏せる、不自由なキリスト教徒たちのようではない。
またマンナズの使用は、権力を持つ組織にとってはすでに誰かを差別するための根拠とするに充分である...今日人々は、このシンボルが第3帝国やヒットラーと何の関係もないことに、次第に気づきつつある...それどころか、それは我々を先祖の文化に繋げる助けとなる。それは我々に我々のルーツを返してくれる。これらのシンボルを使う人への「中傷」と評判を落とす行為は、煽動者たち(グローバリストたちと共産主義者たち)が、すべての感性豊かで、人間的なものをせん滅しようとしていることによる。
是非このテーマに向き合ってみるように。尤も証明可能な(真実の)情報に到達するためには、大変深く掘り下げなくてはならないが...
しかしながらサンデフィヨルド大学は大変短い期間ののちに、ほどなく禁止された。ハーマー博士は、サンデフィヨルド大学のホームページを直ちにインターネットから削除しない限り、処罰される脅威にさらされた。そうして私は新たにある「注文」を受けることになった。ハーマー博士は私に、大学のロゴがもはや使われていない、新しい名称の新しいホームページを立ち上げて欲しいと頼んだ。
青いページは残り、大学のページはその他のものに置き換えられた。そこで「大学の」クロッカスと似た、花びらの丸いクロッカスが登場した。
青いページとサンデフィヨルド大学の後追いのページの、両方のホームページは、2019年まで存続した。ハーマー博士とのお別れの後、比較的すぐに人々のグループ(ゲルマニッシェ ハイルクンデの友たちとハーマー博士の個人的な友人たち)が、ゲルマニッシェ ハイルクンデのために、リュケ・ゲーアド・ハーマー博士とその息子ディルクの遺産 を継続して作業しようと集まった。

幸いなことに私は、私のこれまでのウェブデザインという範疇でのむしろ素人的な仕事を、イリナに受け持ってもらうことができた。彼女はプロの情報技術者であり、2009年にゲルマニッシェ ハイルクンデを見つけ、2016年に自らのSBSのためにハーマー博士に連絡した人である。まだハ-マー博士がご存命の頃、イリナは彼の書籍の数々とロシアへの手紙の数々の翻訳を始めていた。
彼女のおかげで、ハーマー博士はとうとうプロの国際的なホームページを獲得した!
これまで様々なウェブページに発表されていたすべての内容は、現在順次www.germanischeheilkunde-drhamer.comのページに転写されつつある。すべての記事、書簡、及び記録の数々が再びオンラインになるまでには、まだしばらく時間を要する。
イリナは最新のハーマー博士のホームページの体裁を、アミチ・ディ・ディルク出版のポータルの体裁に呼応したものとしている。
この間ハーマー博士の長年の友人であり、またその芸術的な才能でゲルマニッシェ ハイルクンデに重要な貢献をしているハンスは、墓石のための新しいクロッカスをデザインした。標石のための文字は誰にでも読みやすいものであるべきだとする。そのためボナとハンスは美しい石版用文字を選んだ。
このクロッカスとこの文字は最終的に新しくデザインされたリュケ・ゲーアド・ハーマー博士のホーㇺページに採用された:

その一方で、私には学習プログラムのための、私の最初の古いドイツ文字1を伴った青色の背景のクロッカスがまかされた。

私はこの組み合わせから、学習プログラムのためのロゴと同時に、我々の標章をハーマー博士の一番最初の、おおもとのホームページに因んだものをデザインした。
ゲルマニッシェ ハイルクンデがその首尾一貫したシステム体系を保つことは、将来において非常に重要である。人がそれをただ断片的に学ぶと、その際ハーマー博士の発見の一貫性が失われる。「手足を切断された」ゲルマニッシェ ハイルクンデは誰のためにもならない。ただゲルマニッシェ ハイルクンデの完全にオリジナルに忠実なシステムの基礎をふまえた知識のみが、ある治療の知識を持った人(現在ではただ家族とあなた自身のみ)の手の中にある、信頼できる道具である。
学習プログラムのための我々のロゴの中で、クロッカスを取り巻く光の輝きが、この汚れの無さを象徴している。
ゲルマニッシェ ハイルクンデの知識を内に抱く者は誰でも、何故スペインの人々がそれを
「ラ メディシナ サグラダ」
「聖なる医学」
と呼ぶのかを知っている。

1 -今日ネオナチの人々はこの文字を服や入れ墨等々に、その他の人々は逆にそこからいわゆる「茶色の危険分子」について警告するために使用している。漫画の中でさえ、人はナチたちに古ドイツ文字で話させている。
その上で、ナチ党の人々が古ドイツ文字について全く賛成していなかったことは不可思議なことである。古ドイツ文字の終わりはナチにより起こったもので、ほとんどの人々が考えているように戦勝国側の権力から起こったものではない。1941年1月3日付、腹心の部下マルティン・ボルマンのヒットラーからの秘密の命令書の中で「いわゆるゴシック文字」が廃止された。印刷された証明書類は古典ラテン文字アンティクァに置き換えられ、また同時に学校ではドイツ筆記体文字はもはや教えられなくなった。それにより子供たちは両親の手紙をもはや読むことができないか、あるいは読むのに大変苦労することになった。



