リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した

意味深い生物学的な特別プログラムの

様々な統括

アトピー性皮膚炎-そしてその再現可能な原因

ゲルマニッシエ ハイルクンデ5つの生物学的な自然法則に基く医学全体についてのシステムであり、がんのための心理学的仮説-論理などでは全くない。それは経験的な自然科学であり、また5つの経験的に発見された人間と動物、 植物、ひいては単細胞生物における病気の一つ一つの症例について、固く自然科学的な意味において適用可能な自然法則である。またそれは、これまで信じられてきた意味での「病気」では全くなく、我々がこれまで「病気」と呼んできた症状が、自然界における2相性の意味深い生物学的な特別プログラムであり、そこにおいて間違って「病気」とされていたものが、それぞれただ一つの局面を現しているに過ぎないことが発見された。

「冷たい病気」は患者が冷たい症状を表していた場合であった:冷たい皮膚、冷たい手足、体重減少、食欲不振や入眠や継続的睡眠に障害があり、すなわち継続的ストレス状態にあった場合であり、例えば狭心症(表中:赤.右+左.a.3)や、 胃潰瘍(表中:赤.右.a.4)、がん、運動的な麻痺(表中:赤.右+左.b.3)、あるいはアトピー性皮膚炎であり;  その際我々は遺伝性、ストレス、栄養不良、バクテリアあるいは自己免疫不全が原因ではないかと予想した。

「熱い病気」では患者はほとんどの場合発熱し、強い倦怠感があったが食欲は旺盛であった。

そのように、我々は約1000のいわゆる病気をこのような形で認識していると信じていた。しかし今我々は、すべてが正しくなかったことを知った。「冷たい、あるいはまた熱い病気」は全くそれ自体一つの病気だったのではなく、それぞれただ2つの相のうちの一つだっただけである。つまり常に冷たい、葛藤が活発な相と、熱い、葛藤が解決した相である。そのように我々はこれまですべてのいわゆる「病気」を間違って見ていただけでなく、たった一つのいわゆる「病気」も原因から正しく治療することができなかったのである。

それらすべての病気は、 DHS (ディルク・ハーマー症候群)で始まる。それは重篤な、大変強烈にドラマチックで、孤独な状態で襲ってくる葛藤の経験のショックで、その個体が「予期せず反対の足をとられる」ように襲われるものである。我々がそのような暴力的な葛藤のショックに遭遇すると、そのDHSの瞬間にただ葛藤が自身に刷り込まれるだけでなく、この瞬間にまた、脳内の決められた位置にマークされ、がんあるいはがんと等価の病気(それによりその他すべてのいわゆる病気を意味するのであるが)の位置を規定するハーマーの病巣を形成する。

すべての葛藤あるいは意味深い生物学的な特別プログラムは常に精神 及び 器官の3つのレベルで同時進行的に経過する。何故なら我々が生物学的葛藤と名付ける、それぞれの葛藤のショックの特別な種類について、我々の脳の特別な場所が対応しており、また同時に特別な器官の範囲がこれに対応しているためである。人間と動物は、DHSの瞬間に意識することがなくても、DHSの周辺状況までも「記憶する」のである。すべてその個体がDHSの瞬間に視覚的、聴覚的、嗅覚的あるいは触覚的に記録することが、しかしまた様々ないわゆる葛藤の「観点」までもが、DHSの時点で取り込まれる。後に彼がその周辺状況の一つに遭遇すると、すべての葛藤がいわゆる再発として再びよみがえるおそれがある。すなわち、そのような周辺状況の一つから、常に本線へ乗り上げるということである。そのためこれを線路と名付けている。この周辺状況が後にいわゆるアレルギーとして出てくる。我々がこれまで想像してきたような形でのアレルギーというものはない。我々がアレルギーテストで証明できるようなアレルギーは、常にすべてある一つのDHSとの関連で起こる「2番目の線路の軌道」である。そのために我々はいわゆるアレルギーについての全く新しい知識を獲得しなければならないのである。

しかし左ききか右ききかを知ることなくして、ゲルマニッシエ ハイルクンデにおいて作業を進めることはできないが、つまり小脳からは左ききか右ききかということがその意味を持つ。手叩きテストは、どちらききかを調べる最も簡単な検査の方法である。劇場での拍手のように手を叩いた際に、上になった手が主導的な手であり、きき手を決定する。どのように葛藤が認識される(男性的に、あるいは女性的に)か、また葛藤が脳のどこを襲うのかという質問に対しては、ただ現在のホルモン状態(閉経後、妊娠、経口避妊薬の服用等)によるのみではなく、患者がどちらききであるかということにも左右されるのである。しかしながら脳と器官との繋がりに関しては、いかなる場合にも一義的である。

ゲルマニッシエ ハイルクンデ®の第3の法則である、腫瘍とがんと等価の病気の個体発生学的なシステムによれば、互いに重なり合ってはいるが、全く異なった組織学的(細胞の)構成で、また異なった役割を果たしており、さらに全く異なった脳のリレーから司られている、2つの種類の皮膚がある。

  • いわゆる真皮あるいは下皮は、汗腺及び皮脂腺を持ち、また粗い刺激を感じることができ、小脳から司られており、葛藤が活発な相においては細胞増殖を起こす。 
  • 上皮は敏感性で、大脳から司られており、それは葛藤が活発な相(ca-相)において細胞の減少を起こす。

アトピー性皮膚炎は上皮の「病気」である。上皮には上側と下側がある。下側において、上皮は真皮と境界を接している。上側は、我々が皮膚として感じられる部分である。この外側の皮膚は、層状扁平上皮細胞から成り立ち、我々の大脳皮質の中心溝、感覚後野から司られている。精神的には常に別れの葛藤があり、つまり母や家族/群れ、友達、また 動物との身体的接触が引き裂かれることにある。別れさせられるという葛藤のショックにおいて、我々は皮膚の潰瘍を見受けるが、これはほとんどの場合顕微鏡的にしか確認できないものである。その際、我々はこの経過を大変現実的に、まさにこの個体がにかわで接着されていたかのように、そして別れにおいては外側の皮膚から引き裂かれたかのように、想像しなくてはならない。このときそこではもはや皮膚がベルベットのように柔らかくないということを感じられるであろう。この「病状」を我々はアトピー性皮膚炎(葛藤が活発な相での)と名付ける。

この葛藤が活発な相において平らな皮膚潰瘍が発生するが、これは巨視的には見ることができない。その皮膚は、粗く感じられ、血行が悪く、冷たい。この潰瘍はただ一つの症状に過ぎない。その他の症状は感覚的な麻痺である。皮膚の敏感さがますます減少するか、あるいは全く棚上げされた状態、つまりその位置は無感覚であり、患者は少ししか感じないか、あるいは全く感じられない。その他患者は短期間の記憶障害(動物の母親が子供たちを認識できない)を起こす。別れは動物の世界では、大変高い価値基準の位置に置かれ、人間の脳では運動野の4~5倍もの容量を占めるが、それは彼らが全個体の社会性行動全体で相互に規制し合っているからである。自然界においては、家族/群れからの接触の喪失は、ほとんどの場合死を意味し、そのためこの葛藤は大変重要な意味を持つのである!群れから離れる、あるいは子供が母から別れるということは、ほとんど確実にその死を意味する。そのためある個体は原則として、この領域における間違いをたとえ一度たりとも犯すことは許されないのである。

潰瘍の位置決定は、葛藤の種類、つまり葛藤の内容によって左右される。例えば離乳などで、突然にお乳から引き裂かれる乳児たちは、それが生物学的な別れの葛藤となった場合には、ほとんど全員が頬のアトピー性皮膚炎で反応するが、何故ならそこにおいて母への接触が断たれるからである。pcl-相においては、しばしばいわゆる「牛乳アレルギー」として診断される。手のアトピー性皮膚炎では、母親や子供、あるいはパートナーがその手から、すべり出してしまうときに起こる。腕の内側、足の内側は、ある(パートナーとの)(親密な)抱擁からの別れを意味する。そのように、それぞれの罹患した体の位置は、常に大変特別な葛藤の内容を意味している。そこから分離するという場合は、それぞれ手や腕あるいは足の外側にあり、同時に防御を意味する望んだ別れであり、つまり敵から身を守りたいという意味である。

例えば、麻痺を持って生まれてくる子供たちは、母親の胎内で、運動野あるいは感覚野の中心溝を襲った重篤な葛藤のDHSに見舞われた。妊娠した母親の本能は、我々の文明的発展において大きく損なわれた。彼らは例えば、動いている丸のこの横に無意識に立ったり、あるいは自分で丸のこを使って切断したりするが、その胎内で自分の子供が恐ろしいパニックに陥っていることを知らずにいる。このDHSにおいてそれぞれの胎児がどのように生物学的な葛藤を経験するかによって、出産後に運動的あるいは感覚的な麻痺、あるいはその組み合わせを、またしばしばいわゆる精神分裂的な脳内配置を伴って生まれてくるのかを見るのである。その際、その子供が長年に渡り精神分裂的な配置に留まる危険があるが、それは例えばその両親が知らずにいつもいつも乳母車で丸のこの傍を通ることによる(再発)。精神分裂的な脳内配置とは、この場合その子供が左と右の大脳皮質内にそれぞれ一つずつ活発な皮質のハーマーの病巣を病んでいるということである。

その他の例として:ある子供が両親の離婚で母親の方へ行きなさいと言われ、父親との別れの葛藤を得たとすると、この葛藤が長い間活発な状態であった場合、その子供はca-相におけるアトピー性皮膚炎であり、pcl-相においては、また失神=癲癇の危機に陥ることがある。父親のことを多くの子供はパートナーとして認識する。右ききの子供は別れの葛藤を右半身に、そして中でも、その子供が父親への繋がりをほとんどの場合、あるいは最も典型的に感じ取っている、右腕の内側及び右の頬に罹患するであろう。その子供がしかし母親か病気になり、例えばおばあちゃんか知り合いのところへ数週間預けられなければならなくなると、その子は母親との別れの葛藤に陥り(DHSが前提条件)、その場合反対側の大脳半球に、つまり脳の右側に、また体の左側に罹患し、そしてその瞬間に感覚野の精神分裂的脳内配置となる。とりわけ、この場合には体の両側にアトピー性皮膚炎が発生していることになる。

その子供が父親(パートナー)あるいは母親に関して、どれほど多くの感覚野あるいは運動野の葛藤を罹患しているかに関係なく、常に右ききの子供では、右半身(父親のため)と、左半身(母親のため)に罹患する。左ききの子供であれば、すべては逆になるであろう。

精神分裂的な脳内配置は、さらにまたそれ自身ある生物学的な意味を持っている。我々がそれぞれの精神分裂的な脳内配置を詳細に、またある程度確実に、その精神分裂的な脳内配置の「生物学的な意味」について述べられるようになるまでには、明らかにまだ一定の期間がかかる。

重要事項:精神分裂的な脳内配置から後は、実際ほとんど全く葛藤の量が増大しない。母親とパートナー(例えば父親)との別れにおいて、大変重要なことである!

さらに、その子供においては成熟の発展段階が停止する。そのため母親と父親から引き離されている子供が、通常であればより年上の子供から期待されるような役割を担う義務を負わされずに済むことになる。その子供は「おちびちゃん」の状態に留まるのである。

しかしながらその子供の関係が良い方に変化(子供が母親及び/または父親を見出した)場合、その子供はその遅れを再びすばやく取り戻すことができる。これまで我々は発達の遅れを、例えば未熟児としての脳内損傷などのような、部分的な「脳内器官的な過程」というように理解してきた。ゲルマニッシエ ハイルクンデはここにおいてもまた、事実に基いたある納得のいく説明を我々に与える:その個体は、ただ葛藤を解決できるような、「より良いお天気」を待っているだけなのである。

葛藤が解決した相においては、皮膚は赤くなり、熱く、かゆくて炎症を起こしている。さて今、大きな治癒が起こるのである。この症状の形、あるいは発疹を我々は発疹、皮膚炎、蕁麻疹、あるいはただれたアトピー性皮膚炎あるいは湿疹と呼ぶ。その皮膚は見た目に「病気」である。そのため皮膚科医はこれまで常に、ゲルマニッシエ ハイルクンデを知らないがために、ほとんどの上皮の皮膚疾患を葛藤の解決の後に初めて、病気とみなしていたのである。

しかし実際には潰瘍の形成はそれ以前に起こっていた。しかしながらその葛藤が活発な相は長く継続したかもしれず、また治癒相も相応に長くかかるかもしれない。加えて再び(気づかれずに)再発があるかも知れず、新しいpcl-相が相応の治癒行程の延長として作用するおそれ(いわゆる後押し)がある。また一時的記憶喪失は、さらにこの水腫の相にまでかかることがある(脳細胞の分離)。

 葛藤の解決を見たすべての病気には、一つのca-相がある。またすべてのpcl-相には、それが葛藤が活発な再発によって中断されない限り、迷走神経系の最も深い位置において、癲癇のあるいは癲癇性の危機がある。すべての生物学的な特別プログラムには、それぞれ大変特別な種類と形での癲癇性の危機がある。運動的な葛藤では、例えば大変典型的な癲癇の発作であり、縄張りの葛藤においては心筋梗塞である。

しかし、基本的に医療全体のすべての病気には癲癇性の危機がある。

癲癇性のという意味は:癲癇に似たということである。それはしかし癲癇性の危機という場合、強直痙攣性のひきつけ発作ではなく、癲癇性の危機であり、例えば感覚野の別れの葛藤の後の治癒相では、患者が完全な昏睡状態に入ることなく、何日も続くこともある失神という状態で起きることがある。また疥癬はそれ以前の葛藤が活発な別れの葛藤及び解決した別れの葛藤が、同時的に一つのあるいは多くの皮膚の個所に重なって存在することを意味する。そのため、それは赤い下地(pcl-相)の上の、皮膚のうろこ状態(ca-相)となる。

皮膚学全体は、これまでほとんど全く科学的な基盤に基いていなかったし、ほとんどの場合対症療法的な方向の科目であったため、新たに方向づけされなければならない。我々が常に特別な「病気」あるいは「病状の悪化」というように理解してきたため、常に治癒あるいはただれた発疹、湿疹、あるいはアトピー性皮膚炎の症状が間違って分類され、我々が葛藤が活発な際に潰瘍を伴う症状の改善と信じていたことがらは、それはしかし全く逆のことであった。

現代医学は、とりわけ細胞増加あるいは細胞減少に関して、真皮及び上皮がそれぞれ葛藤の活発なあるいは葛藤が解決した相において、反対にふるまうということを認識することがなかった。

ゲルマニッシエ ハイルクンデにおいて初めて説明された相関関係についての理解が不足していたことによって、これまで一人の皮膚科医も症状の経過以上に診ることができなかった。そのためその治療はまた常に明らかな「対症療法」に過ぎず、すなわち軟膏、パウダー、チンキ剤及び最悪な場合は健康な部分にいたるまで大きく切除してしまうことであった。

著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士に帰する

翻訳:日本語作業チーム