リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した
意味深い生物学的な特別プログラムの
様々な統括
統合失調症 - あるいは統合失調的な脳内配置
2つの葛藤-別々の脳半球にある複数の活発な特別プログラム
私の医師免許取得後初の医師の正規ポストとして、私はテュービンゲン大学の精神病院に勤務した。私がそこで出会ったいわゆる精神病者たちは、若い医師である私にとって、想像する限り最も恐ろしく最も絶望的な状態であった。人々は、若年の人たちでさえ(「いわゆる破瓜病、ヘベフレニー」)であり、我々と全く同じように見受けられ、我々と全く同様に夢と希望を抱いていたはずの彼らは、檻に入れられた動物のように「閉鎖病棟で」共につくねんとして座っていた。そもそも誰一人、実際この嘆かわしい人々が、一体何の病気だったのかさえ知らずにいたのである。
憂鬱、いわゆる「内因性抑うつ」では、少なくとも症状体系的にはかなり統一性があるが、いわゆる分裂気質の精神病者、あるいは短く統合失調[訳者注:日本国内では2002年以前の精神分裂]症では、今日までまだ一人の精神科医も、何がこの病気の決定的な条件基準なのかを提示しようとしない。
すでにこの様々な症状体系の数々を一つの病気として名付けたことは、随分と思い切ったことであった。そもそも「追跡妄想」があると吹聴されている人は、潔癖症を病む誰かと共通点があるのか、あるいは半睡状態で「声を聞いた」人と共通点があるのか、あるいはいわゆる緊張病を病む誰かと、あるいは「癇癪的な不機嫌」に陥る人と何か共通点があったのか?そしてこれら数々の症状像は、また様々な抑うつに彩られた精神病者たちの様態と、しばしば強迫的な相と、緊張性の抑うつ等々が交錯する、=いわゆる躁鬱両極性の統合失調症との間で、何が共通であったのか?もともとそれらを共通の病気として確認可能にしたようなものは、全く何も無いのである。しかしながら彼らは一つ共通のものを持っており、そのためには世間一般の言いまわしが大変的を得た表現を見出していた:彼らは「狂っている(間違って押しやられている)」!それは次のことを言おうとしている:彼らはかつての精神的な立ち位置から「押しのけられている」と。当時から私は常々、これらの哀れな中でも最も哀れな人々を、医師として根本的に助けられるようになることに、大きな望みを抱いて来たし、また今日でも抱いている。
世界中の精神病院で人々は長きに渡って、患者の前歴において精神病者の病気の原因を見つけ出そうとしてきたが、それは徒労に終っていた。人々はすでにしばしば決定的な経験や、葛藤の経験が偶然、精神的な病気の発症に先行していたことを見過ごせなかったが、どんなに努力しても決してその中にあるシステムを発見することができなかった。
その謎解きは大変難しく、かつ単純なものであった:いわゆる統合失調症では常に、コンピュータである脳をリズムはずれにさせる、別々の脳半球にある2つの葛藤が存在する。
統合失調(精神分裂)症(Schizophrenie)は、「分断された思考」と翻訳でき、おそらく両方の脳半球が「同様の調子」で考えないことに由来すると思われ、それをすでに幾人かが憶測しており、それが後になってみればほとんど的を得ているにも関わらず、これが2つの様々な活発な生物学的な葛藤から発生しようとは、その考えにはこれまで誰も至らなかった。ほとんどすべての精神病院は今日コンピュータ断層写真機を所有しているが、しかしまだ一度も誰かが何かに気付くことがなかったのは、精神科医たちは通常脳内CTについて全く理解しておらず、また神経放射線技師たちは(生物学的な)葛藤について何も興味を持っていないためである。99%のいわゆる統合失調症の患者さんたちは「神経医学的に特筆すべきことが無いため」、まず全く CT を撮影してもらわない。
患者さんたちにとっては、ある検査結果報告が精神病者であると言う時が残酷である。この診断は患者さんの人生の終りまで、もはや離れることが無い。一度気違い-生涯気違いである!その場合その様な哀れな人間は、彼の残る人生をほぼ「下等な人間」にされた。彼がまだ「人間の尊厳を持って扱われる」としても、もはや彼は誰からも二度と再び本気で取り合ってもらえない。彼は至る所で、同情的-温情的なまなざしに出会うであろう。
彼はほとんどの場合強制的に年金生活者にされ、また事実上本気で付き合う人々の社会的共同体から締め出される。
そのためそれらのいわゆる強制精神病院送りは、学校医学の仲間うちでは好まれている。それをもって人は一人の敵をそのような形で生涯抹殺することができる。その人についての診断が事前に確定している、一度きりの、半分公式の「鑑定」で事足りる。そして「一度気違い-生涯気違い、つまりは永久に抹殺される。」のである。
その際すべての人間が1時間の間に、むしろ1秒の間に「統合失調症」になる恐れがある。何故ならいわゆる統合失調症には、人はゆっくりと罹患したり発症するものではなく、ゆっくりと進行するものでもなく、両方のDHSのうちの2番目の、その1秒で発生するためである。
とりわけ彼がその瞬間から生涯「統合失調症」という欠陥を負わされるかどうかは、我々の社会では再びこの診断が一度は公的なものであるか、すなわち公式に確認されているかどうか(がんの場合と大変良く似ている)、その点に左右される。
いわゆる統合失調症は、今日いまだにどのような形の見解があるとしても、遺伝あるいはいわゆる「内因性」とは全く関係が無い。
ただある不幸な、しかし生物学的に意味深い(通常一過性の)脳内配置があるのみである。
この脳内配置は一連の因子の数々から発生する可能性がある。前提となるのは、すでに事前に発生したDHSを伴って活発な葛藤が存在し、これは脳半球Aの縄張りの範囲に、ハーマーの病巣で位置決めされており、そして2番目のDHSがそこに加わり、そのハーマーの病巣が脳半球Bの縄張りの範囲に位置決めされることである。脳は明らかにある一定の期間、一つの葛藤のみを許容する。
つまり、我々が強迫的な思考を注視すれば、またそれもすでにある精神病の形である。その患者は実際昼も夜も強制的に彼の葛藤について考える。彼は日中、常に葛藤が「頭の中で巡っているため」、全く明快な思考をまとめられず、夜には彼は彼の葛藤についての夢を見るのである。
解決するべき「たった」一つのDHSを伴った葛藤を持つ患者は、彼の周囲が少ししか、あるいは全く彼の葛藤に気付かないように、彼の小舟の方向をまだなんとか保つことが可能である。しかし患者が同時に2つのDHSを伴った複数の葛藤を処理するべきときは、その際彼は、自分ではこのことにまともに気づかぬうちに、「自身が彼の両方の葛藤の処理作業を伴った葛藤の中にある」。それにより悪いことに彼は過剰に要求された状態である!彼は同時に、また絶え間なく、2つの葛藤のテーマの周りを回ることができない。人は短時間そのような状態に耐えられるが、そうして患者はいつかは壊れてしまう。
彼はその際、彼が「通常の状態」ではしないような何かをする。
それにも関わらず、「統合失調症」は抑うつと同様、それ自体独立した病気ではない。それはむしろ2つの葛藤の活発な特別プログラムが別々の脳の半分にある、ある一過性の不幸な脳内配置であり-一つの生物学的な意味を持つことに注意するべきである!
治療は驚くほど全く簡単である:
最初に患者を彼の「分裂思考性」から抜け出させるためには、基本的にひとつの葛藤の解決ですでに事足りる。しかし類似の脳内配置の再発の危険及びそれにより新たな「後押し」の危険があまりにも大きい場合、より賢明な療法士であれば誰も、そこで立ち止まることはしないであろう。そこに属しているがんの病については言及するまでもなく、それは患者が統合失調的な脳内配置にある間は、彼は葛藤の量を増大させないが、葛藤が単独で活発であれば、時計の針はまた「時を刻む」、あるいはがんとがんと等価の病気は、その際進行するためである。
幾度もの「後押し」は、そのような形の脳内配置の不幸な繰り返しに他ならない。しかし我々は常に、これらの人々が統合失調的な脳内配置にあり、継続的に何か特別なことを言わない代わりに、妄想偏執症的なことを考え、そしてまたいつでも行動に移す可能性があることについて、はっきりと理解していなければならない。彼らがもう一つの葛藤を追加で得る場合には、ある瞬間から次の瞬間に、常にひどいことになる恐れがある。その場合彼らは瞬時に全くたががはずれ、また躁状態的に、あるいは抑うつ的に全く変化し、つまりは「気が狂った」状態になる恐れがある。
時に「非常に立腹する」大変多くの人々が居る。ほとんとの場合、彼らはかなり素早く再び落ち着きを取り戻す。しかし我々が、これらの人々の多くは時に短時間あるいはいくらか長い時間、ある統合失調(精神分裂)的な脳内配置にあったと言う場合、それはまず同情的に首をかしげるような思いを呼び起こすであろう。何故なら統合失調(精神分裂)症という言葉それだけで、すでにほぼ終身的な欠陥という判決に近いためで、それは「一度統合失調(精神分裂)症、生涯統合失調(精神分裂)症」と見做されるためである。しばしばまたそれは終身的な施設送りにつながり、その際ほとんどそのような何か、終身の刑務所送りや施設入院措置を意味する。
しかし実際には「たった」一つの脳内配置は、基本的にそれが発生したときと全く同様に素早く、人が再び変えられるものである。
人々がそのような脳内配置でどれほど恐ろしく苦しんでいるか、特に大変苦しんでいるのは、彼らが再び平常化しており、いまだに統合失調症と見做されている場合であることに、一体誰が気づいているだろう。イタリア人たちが既に以前から行ったように、急いですべての治療施設を正しい形で調べ上げ、そして治療施設の門を解放する日を、彼は私同様ただ待ち望むだけである。
一つの重要な事実はまた次の事柄である:ある活発ながんの行程に罹患しているすべての患者は、彼が追加的に罹患する、次の DHSの際に、いわゆる統合失調症に罹患する深刻な危険状態にある。つまりそれを厳密に見れば、ただ大脳と小脳の葛藤に関してだけ当てはまるが、しかしそれですでに充分である。そしてその際がんに罹患している患者はいつでも、2番目のDHSを伴って、また付随する中心的葛藤のDHSが、せん妄的な状態に陥れる恐れがある。それは我々の学校医学の予後の開示が、ほとんどの場合残酷さにおいて、ひとかけらも希望の余地も与えないものであるため、思ったよりも、また単に計算上の発生の確率よりも、ずっと速く起こる!
我々はまた次のことが言える:統合失調症はある同時に活発な「二重のがん」であり、それはただこの脳内配置においては、精神的な症状が器官の各症状より、より顕著でより劇的であるだけである。
いわゆる統合失調症は実際、人が葛藤を処理するための可能性を見出せない時の、「有機体の緊急反応」である。
患者の有機体は、ほぼ自身を投石用パチンコで打ち放ち、葛藤状態から抜け出すが、それはコンピュータである脳を閉鎖する!
そのため我々はもはや的を得た表現でない統合失調(精神分裂)症とは言わず、「統合失調的な脳内配置」、あるいはより無難な表現の-「脳半球的な手詰まり」の話としたい。
統合失調症の脳内配置の中で大変興味深く、また頻繁に起こる現象は、成熟の阻止である。その発生は単純である:常に2つの大脳から司られている意味深い生物学的な特別プログラム (SBS)が存在する。
大脳皮質から司られているSBSの統合失調的な脳内配置は、ただ右側と左側の縄張りの範囲に起きるたけでなく、両側の大脳半球の大脳皮質全体に起きる。すなわち次のことが言える:真に運動的な統合失調的な脳内配置(左と右の皮質中心溝の運動野)でも、あるいは真に感覚的な統合失調的な脳内配置(左と右の皮質中心溝の感覚野)でも、そのような成熟の停止を起こすのに充分である。
しかしながらそれは次第に差異を顕すように見受けられる。完全な成熟の停止は、ただ縄張りの範囲の脳内配置の場合にのみ起こり、部分的にはまた「糖類の範囲」を伴い、また正面の不安の範囲、ひいてはいわゆる追跡妄想(=2つの首のところに不安がの葛藤)を伴う。この時点で成熟の発達が止まったままになっているため、我々はいつ第2の葛藤が襲ったに違いないかを、直ちに知ることができる。
この認識は大変重要な診断的判断基準である。
第1の葛藤はそれ以前すでにあったはずであるが、ずっと以前からか、最近であったかは、我々はまだそれでは確認できない。しかし我々が患者のきき手を知っているため、少なくとも縄張りの範囲のSBSにおいては、最初のDHSと、そして2番目はどれであったかを知ることができる。そして我々が第2のSBSの時点を相当正確に推測できるため、我々はまたこの時点に的を絞って葛藤について質問できる。残りは診断のための日常的な作業である。
成熟の停止が生物学的にかつてその意味を持っていたと充分に考えられ、そしておそらく今日でもまだ意味を持っているため、人はただ当初からその事象について良く認識した上で解明しなければならないだけでなく、また、一体何故患者が決してこの脳内配置から抜け出さなかったかを知ろうとしなければならない。
統合失調的な脳内配置による成熟の発達停止の例:
それまで成熟の度合いは通常に発達していた8歳の男子が、ある時から短時間で統合失調的な脳内配置に陥った。
それは次のように起こった:
両親は晩に友人たちと小さなパーティーに行きたいと思っていた。真夜中までには戻るつもりであった。彼らは18歳の姪を雇って、13歳の娘と当時8歳であった弟の二人の子供たちが眠っている間、アパートで留守番をさせることにした。両親が出発するやいなや、2人の子供たちはベッドから這い出し従妹を言い負かして、テレビを見させた。彼らは両親にはそれについて何も言いつけて欲しくなかった。テレビでは夜中に子供たちをベッドから連れ去るという内容の、身の毛のよだつ恐怖映画をやっていた。その誘拐犯は足音もひそかに寝室のドアを通り、彼のいけにえを後ろから捕まえた。
18歳と13歳の二人の女の子たちはその恐怖映画を完璧に「充分に怖がって」楽しんだ。しかし8歳の男の子は我々が後に再構築したように、それをまともに受け取ってしまった。彼は驚愕で大きく見開いた目でソファの後ろからこちらを見ており、我々が脳内CT写真で確認できた通り、また同時に多くの葛藤に襲われた。それをもって彼はその瞬間、統合失調的な大脳皮質の脳内配置となった。
そのときから彼は毎晩母のベッドで寝たくなったが、これは8歳の男子としてはまだなんとか容認できるような行動である。しかし彼は5年後の今日、もうじき13歳になるのにいまだに母のベッドで寝たい。母親は言う:「この子は8歳児のようなんです!」
我々は、8歳の男子にとってテレビは、彼がそれについて笑えるような、おとぎ話の劇の舞台ではなく、彼がそのまま夢の中に持ち込めるような、何か大変現実的なものであることを、はっきりと理解しなくてはならない。
しかしいつか人は、その男子が母のベッドから再び「ねぐらを戻す」ように試みた。男子はそれにより運動的な癲癇と組み合わされた失神に襲われた。発作の際に彼は目を反転させ、常に上を見上げた。彼の報告によれば、彼は発作の最中に遠くから人声も聞いた。
しかし彼はまた発作でないときにも、その声をしばしば聴いた。彼が目を上に反転させたことには理由がある:人が彼を再び自分のベットにねぐらを戻させた時、彼は頭をドアの方へ向けて寝ていた。彼は、夜静かに子供たちの寝室のドアを通って、例えば何かを取りに入ってきた誰かを、彼のベッドのヘッドボードの上に現れてからでないと見ることができなかった。彼が後に正直に話してくれたように、当然彼は常に恐怖映画の凶悪な誘拐犯人のことを考えていた。おそらく彼はまたほとんど5年もの間何度も失神していたが、最初の頃は誰もそれに気づかなかったのであろう。彼が目を反転させて何度も失神したとき、その「可愛そうな男の子」は当然ただちに夜再び母のベッドで寝ることを許された。
彼は学校でしばしば発作を起こしたが、人はそれについては配慮してくれた。彼は13歳としての学年で、8歳の子の様に振舞うが、しかし成績的には学年で首席であった。一人の医師も助言を与えることができなかった。常にただ服用すべきとされる、様々な薬ばかりが問題であった。男子は診断的には「失神を伴う癲癇性の発作」として扱われた。
我々がすべてをまとめて犯罪捜査的に、すべての原因としてその恐怖映画を発見した時、そしてその男子がこれを正しいと認めた時-彼はそれ以前は死んでも言わないほどに、一言も漏らしていなかったが-それは両親に大きな安堵をもたらした。しかしながら現在人は少なくとも、どのあたりに狙いを定めるべき であったかを理解したと言える!だからと言って、そのような症例は依然として「取るに足りないケース」では全くない。しかし人は今その原因を認識しており、それをもってその男子が、大変大きな確率で、彼の失神を伴う癲癇から快復し、また彼の成熟の遅れに再び追いつくことができるように助けるための方向性をも認識している。
私は、私がその症例を取り上げたことで、何か基本的に取り扱えないこと、同時に不治であるとされていたことを、むしろ原因から説明でき、そして処置するべきことであると人が理解でき、またしっかりと把握することを期待している。
しかしゲルマニッシェハイルクンデが-正当性の正式な証明にも関わらず-ボイコットされ続け、また単に認識されないままであれば、哀れな患者さんたちのためには何も変えられず、変わらない。
今日の学校医学は、何が統合失調症あるいは統合失調的な脳内配置なのかを知らない。しかしすべてのドクターは、誰が統合失調症なのかは知っている!さらに全員が、患者さんが統合失調症であることが全く明らかであるかのように振る舞う。そして一度この欠陥をおでこに焼き付けられた人は-そして軽々にそれを行ったドクターは、またさらに愚かであったが-それから決して逃れられない!
政治家たちは大統領になることを夢見るし、テニスプレーヤーたちは-ウィンブルドンの勝者になることを夢見る。私は、私の小さな医師としての人生で、 がんの病との相関関係で助けられるようになり、そして-さらに私にいくらか時間が残されるのであれば-また精神病の相関関係を解明することを願っていた。
いわゆる統合失調的な脳内配置には、また以下の事象が挙げられる:
茫然自失-方向感覚喪失-誇大妄想-感情的な死-躁鬱症的な行動-不安神経症-攻撃性-遺尿症 (夜尿症)-追跡被害妄想-強直症(強硬症)-声を聞く幻聴-拒食症-潔癖症-自閉症-虚言癖-人格障害-運動的偏執症-失神症-アルツハイマー病-等々である。