リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した

意味深い生物学的な特別プログラムの

様々な統括

脳腫瘍-定義として存在しない

がんの病いは、我々の精神と脳、そして身体における病気である。これは常に前述のがんの鉄則に則って進行し、すべてのがんの病気が、ある非常に重篤な、大変強烈にドラマチックで、孤独な状態で、その個体が間違って反対の足をとられるように経験する葛藤のショックであるDHS(ディルク・ハーマー症候群)と共に始まるものである。

すべての葛藤はまた決められた内容を持ち、DHSの瞬間にこれが意味付けされる。この葛藤の内容は、連鎖的に、すなわち無意識のうちの思考秩序の元に与えられる。人は、自身が考えていると考えるが、実際にはその葛藤は秒単位で人が考え始める前にすでに襲ってきている。このDHSの瞬間に、特別プログラム のスイッチが、実際ほぼ同時的に入る。精神と身体のすべての反応が脳と結ばれており、すべてが統合制御されている。脳は我々有機体の大きなコンピュータであり、精神はプログラマー、身体と精神は同時にまたコンピュータの共通の結実した端末器官である。

精神、脳及び器官 は、診断的、治療的にはたらきかけることのできる、与えられた3つのレベルである。実際には、それらは我々がただその3つのレベルすべてにおいてのみ認識できる、一つの単位なのである。DHSの瞬間に、我々は脳内においてこの変化を見ることができるが、これはコンピュータ断層写真(CT)として撮影できるものである。これは、弓矢の的の形としてまとまった多重円のように見えるか、あるいは水の中に石をポチャンと落とした時に水面にできる形のように見える。

そのようなリレーはハーマーの病巣(HH)と名付けられている。HHの位置から、ここにおいてどのような性質の生物学的葛藤の内容が問題になっているに違いないかがはっきりと見分けられるのである!

葛藤の経過は常に決められた脳内のHHの経過に従い、器官において全く決められた通りの経過をたどる。その意味は:葛藤がより強くなると、器官においても強くなり、葛藤が弱まるとその他のレベルにおいても弱まり、葛藤が溶融すると、3つのすべての相において葛藤の溶融がおこり、再発するすなわち、葛藤がまた戻ってくればすべての3つのレベルにおいて再発が起きるのである。これは、それによって診断的な作業をしようとするには、まったく素晴らしいことである。このため物理学におけるのと同様、完璧にまた論理的に再構築可能な形で作業できるのである。厳しく自然科学的な意味において、上位に定義づけすることのできるシステムであり、つまり一つのレベルを知ればその他のレベルを筋道立てて見出すことができるのである。

今我々が次のことを理解しようとするならば、この継続的な 精神, 脳 及び 器官の間の交代劇を、我々有機体全体の何百万年もの間に発展してきたある大きなコンピュータとしての脳と共に、我々の眼前にありありと思い描けなくてはならない。

DHSの始まりから、患者は手足が冷たく、眠ることができず、食べることもできず、体重は減り昼も夜も葛藤のことを考え続ける。この相は葛藤の活発なストレスの相、あるいは継続的交感神経系と呼ばれる。例えて言えば、あまりにも大きな電流量が、高すぎる電圧で、細すぎる電線の中に通されるような状態と想像することができる。このDHSは我々に間違って反対の足をとられるように襲うものであるが、しかしながら自然が我々に与えている自然のチャンスでもある。何故ならDHSの瞬間に特別プログラムのスイッチが入るからである。

継続的交感神経系により、それはそもそも基本的に計画に入れられているものではあるが(ただ良きことが多すぎるように)、脳神経のコミュニケーション回線があまりにも大きな量で損傷しており、同様に身体の器官においてもがんにより拡大したり、縮小したり、あるいはともかくも変化を示したりするが、これは特別な新しい予想していない状況に対して代償を支払うためである。

葛藤が活発な相の終了まで、ハーマーの病巣は少なくともコンピュータ断層写真に関して言えば、弓矢の的の形が定常的で変化していないこと以外は、見たところまったく興奮するようなものではない。しかし実際は全く異なっており、我々はこの損傷について、葛藤の溶融(CL)が起きて初めて見積もることができるのである。何故なら、我々は治癒相(pcl-相)において初めてその変化あるいは損傷の全体の規模について俯瞰できるからである。有機体は正確にpcl-相の始まりから、体の器官における細胞増殖であれ、細胞減少であれ、そして当然またその被害を受けた脳のリレーの損傷であれ、それらの補修を始める。また葛藤の期間が長くなればなったほど、それに応じて補修規模もまた大きくなる。葛藤の溶融(CL)の始まりとともに、有機体はストレス相から迷走神経系と称する休息の相へとスイッチが切り替わる。

精神のレベルにおいては、安静状態が起きる。精神は休まなければならない。患者は、ゆるんだ状態で疲れており、しかしながら解放された気持ち、食欲があり、体温は上がり、しばしば発熱し、しばしば頭痛がある。患者は良く眠れるが、多くの場合朝3時頃からである。

器官のレベルにおいて、我々はこれまで最も重要だとされてきたことを、今確認する:がんが止まるのである! がんの腫瘍の修復が、直ちに細菌性の解体により、あるいはがんの壊疽が細菌性の再構築により開始されるのである。

脳内のレベルにおいて我々は HHが今、水腫になるのを並行して観察することになる。生物学的な葛藤を完了させようとする脳内のその特別な抵抗力は、脳がHHを再び治癒させることができるという能力の中にある。脳はそれを、治癒相における水腫の助けを得て行う。

治癒相の後の半分において、-これは癲癇の危機とともに始まるが-脳においてはハーマーの病巣の修復のために、害のない脳内結合組織、いわゆるグリアが蓄積される。

脳内コンピュータ断層写真の中に脳内のグリアの蓄積が見出された際、これはまたヨウ素性造影剤で着色されやすかったため、通常確実に「脳腫瘍」という診断が下った!

脳腫瘍はしかしながら、定義として存在しない。何故なら脳細胞は人が生まれてから決して細胞分裂することができないからであり、またこれはこれまで脳腫瘍と間違って定義づけされたような条件下でも同様である。すなわち、どのような条件下でも、である。増えることができるのは、グリア=脳の結合組織であり、これは我々の身体にある結合組織と全く同様の機能を持つものである。コンピュータ断層写真で見られるこの明るいグリアで固められたHHは、有機体のHHへの補修であり、すなわち喜ぶべきものであり、驚愕するものでもなければ、ましてや脳手術を行うようなものでもない。

ここにおいて、核スピン検査技術は器官及び脳の変化を、多くの場合視覚的にあまりにドラマチックに見せるという短所を持っている。そのため患者に対して、彼が大きな「脳腫瘍」を持っているという印象を与えるが、同じ患者であってもCTに写ったものの方が、よりドラマチックでなく見えるのである。

このHHは、CT写真においては多かれ少なかれ、大きな白い点あるいは範囲であり、内部や外周においてすでに水腫が全くない場合に、治癒の終わりを示している。しかしながら、その補修の代償は、そのHHの組織がその時からより固くなり、もうあまり伸縮性がなくなることにある。コンピュータである脳は、いわば応急処置で補修されたのである。しかし、そこにまた追加の点が加わる:患者は今、この精神的な葛藤の傷跡を、精神的なアキレス腱とも言える弱点として持つことになる。

これを理解した上で我々は、何故葛藤の再発の際には治癒状態の初期において破壊的な結果を招かざるを得ないのかを想像することができるが、その際にはつまり古傷がすべて3つのレベルにおいて再び開いてしまうからである。しばしば患者は治癒相の後半まで到達できるのであるが、しかし、それから新たな水腫が暴力的に発生し、脳はそれにより過剰に要求され、もはや追従できない状態となる。今我々はまた何故2度目の心筋梗塞が、特に追加的に症候群が起きている場合(=葛藤が活発な相の集水管がん)に、死に至るのかを理解できるのである。

化学療法あるいは放射線治療は、ほとんど葛藤の再発を起こさせているように観察できる。治癒は停止し、また腫れ上がったリレーは再び小さく束ねられる。水腫の水分は消え、しかしHHはそれにより治療されたわけでは、断じてない。それによっていわゆるハーモニカ現象の修羅場が始まったのである。

HHの中と周辺における行程が治ったわけではなく、人工的に阻止(停止)されただけであるため、有機体はそれぞれの化学療法あるいは放射線照射のサイクルのあとに、直ちに治癒の残りを再開しようとする。すなわち:HHを再び水腫によって充てんする。幾度も幾度も神経細胞のつなぎの役目をするシナプスが互いに引き延ばされ、それからまた次の化学療法や放射線照射のサイクルにおいて、再び小さく束ねられる。このばかげた繰り返しが、シナプスが全く引き裂かれるまで行われるのである。

手術はもっとばかげたことである。手術により、患者は戦争において脳損傷を受けた兵士たちに見られたような、すべての恐ろしい後遺症を伴う脳損傷者となる。しかし、それだけではない。手術によって、葛藤の経過としての治癒が完結したわけではなく、健康な部分まで大きく根こそぎされたのでない場合には、治癒はさらに続くのである。

手術の瘢痕は、周辺にある水腫を生成する脳の組織を大きく膨らませて、のう胞となる。それは、さらなる執刀があると、例えばドレン管のように作用するが、これについてはさらなる詳細は避ける(症候群である!)

水腫を伴ったハーマーの病巣、あるいはグリア組織は常に特別プログラムが有機体の中で経過してきたことを意味し、また葛藤の溶融がすでに起こったに違いないことを示している。数えきれないほど多くの運の良かった人々が、この間違って脳腫瘍と判断される害のないがん発生の残り物を、彼らにおいては全く発見されず、何十年もの間体の中に持ったまま生活し、まったく脳的な故障がないか、あるいはほんの少しの症状で済んでいたのである。進行性麻痺(麻痺)は例外であるが、多くの場合がんの病気の脳内の行程は治癒相になって初めて気づかれるものである。それはこの状態において初めて治癒の水腫を得て、またそれにより「空間を占有しようとする行程」に至るため、驚くには当たらない。

まさにこの空間を占有しようとする物は、これまで常に腫瘍の基準として、不当に定義されてきた。もともとの意味での腫れ上がりとしての腫瘍、またしかし癌腫の意味合い、あるいはいわゆる「転移」という意味も同様に曲解されてきた。とりわけ、治癒状態におけるHHの内部及び外周の水腫は、一過性のものである。何故なら、ハーマーの病巣を治癒状態の完了の後に詳しく観察すれば、その後は空間の圧迫状態に関しては全く何も残らないことを見てとるからである。それは、後には脳細胞の間のグリアで満たされた空間が、また明らかに修復されて残るのみであり、それは葛藤が継続していた時に交感神経系を通して(電気的な)機能損傷が起きていたところである。

さらなる特別な規則は、癌腫は葛藤の活発な相において増殖する、つまり真の細胞増殖として増殖することであるが、しかしハーマーの病巣の腫れ上がりは、治癒相になって初めて発生するものであり、そしてまた一過性(一時的な)のもののみである。

すべての身体の水腫が基本的に一過性の性質のものに過ぎないように、また原則的にそれぞれの脳内の水腫が再び腫れ上がりを起こすものであるとき、それはまた患者がこれが再び小さくなる前に脳内の圧力によって死ぬ可能性もあるということである;例えば長すぎる葛藤の継続、あるいは強すぎる葛藤の度合い、また多くの同時発生の病巣外周の水腫の蓄積総量、良くない位置、あるいはまた特に症候群を伴った再発による場合などである。

これは例えば、すでに患者が有能だと考えている他人や医者、また友達からの考えのないたった一言で、彼を最悪の絶望の淵へ、またパニックに陥れるのに充分であり、それは他の人が彼を救い出したり、あるいは彼自身によってなど、全く再び抜け出すことのできないような状態である。。

質問: それでは、すべて原則として同様であるということですか:脳卒中、脳出血、脳内のう胞、脳腫瘍、髄膜腫、ハイパーデンゼ(過剰な密度)及びヒュポデンゼ(過小な密度)病巣あるいは範囲における、また多くの明らかになっていないすべての種類の脳内の腫れ上がりもですか?

回答: 少しの例外を除いてそうです。

当然比較的に見て、非常に稀な落下(脳硬膜及びクモ膜の間の出血)における脳硬膜下の血腫、当然脳膜炎(柔らかい脳皮膚の炎症)もあり、また脳炎、例えば負傷や手術によるもの、また当然ときには脳内の大量出血もある。しかし、これらの例外は最高で1%を占めるだけであり、すべてその他の脳内の変化はハーマーの病巣であり、述べた通り、さまざまな経過の状況における、さまざまな位置にある、またさまざまな葛藤の継続の最中あるいは葛藤の後の状態である。

またいわゆる「脳卒中」が脳的に見て「心筋梗塞」と異なる理由は、脳内の行程は中央前方感覚野神経までであり、つまり頭蓋骨頂下の運動野の中心までであるためであり、大脳皮質の最高位置に到達しているからである。そのため麻痺が症状として現れるが、それは新たなDHS(運動の葛藤)が加わらない限り、ただ一過性の性質のものである。

ゲルマニッシエ ハイルクンデは、ただ例えば葛藤の解決だけに限定したり、また複雑化をその他の専科に振り向けられるような専門科ではなく、病気のすべての段階を、また脳内、器官内のレベルを注視しなければならない総括的な医学である。とりわけ、ゲルマニッシエ ハイルクンデにおいては投薬的な治療は、ただ自然な経過における複雑化を和らげる、あるいは避けるためにしか使用しない。例えばある患者にコーチゾンを与えるのは、彼があまりに強い脳内の腫れ上がりを持つときのみであり、それにより彼が治癒相を生き残れるためであるが、彼が症候群を持っている場合は除かれる。何故ならその場合には、コーチゾンは反対作用を示すからである。

DHSはがんの鉄則の基本であり、すべての診断の起点であり、作用点である。がんの鉄則の適用により、すべての医学と生物学が自ずと秩序立てられる。

すべての人間は、彼が自分で思考することで自然から解き放たれたとうぬぼれている間にも、実際には考古学的、生物学的な制御系に則って感じ、知覚する者であり、同時に葛藤を生物学的に知覚しているのである。

我々がこれまで、病気を何か敵対すべきもの、ましてや悪意のある、神からの罰であると考えてきた間、今我々にはそれが一過性の意味深い、我々有機体の実質変化であり、常にすべての3つのレベル、精神、脳及び器官において同時に進行し、しかしながらそれでも基本的に一つの有機体であるという、あるしるしが現れ見えてきた。一つが他を無くしては決して進行せず、すべて同じ拍子を刻んで同時に進む。まさに息を飲むばかりの統括である!

 

著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士に帰する

翻訳:日本語作業チーム