リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士によるゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に即した

意味深い生物学的な特別プログラムの

様々な統括

卵巣がん- 奇形腫及び卵巣壊疽

 ゲルマニッシエ ハイルクンデは自然科学的な医学であり、人間、動物そして植物、さらに単細胞生物にも-宇宙のすべての生き物に-当てはまり、またこれまで信じられてきたような意味での「病気」が全くなく、これまで「病気」と呼ばれてきた症状は、2相性の「意味深い生物学的な自然の特別プログラム 」であり、間違って「病気」とされていたものは、それぞれそのうちのただ一つの相を示していただけであったことが発見された。そのように我々はこれまでただすべての間違った「病気」を誤って見ていただけではなく、またそれらのうちのたった一つの間違った「病気」さえも、原因から正しく治療することができていなかった。

それぞれのいわゆる病気(がんだけではなく)の引き金となるものは、常にある生物学的な葛藤、ある大変ドラマチックなショックの経験であり、DHSと呼ばれるものである。そしてDHSの瞬間に葛藤が活発な相(ca-相)が始まり、自律的な神経システムが通常の昼/夜のリズムから継続的交感神経系へ、つまり継続的なストレス相へと切り替わり、患者は昼も夜も彼の葛藤についてのみ考え、夜はもう眠れなくなり、食欲はなくなり、体重は減り、彼はほぼ高速回転の状態で器官における変化が進行していく。この予期しないショックは脳内に足跡を残すが、これは脳内コンピュータ断層写真(CT)の助けを得てはっきりと観察することができる、いわゆるハーマーの病巣(HH)であるが、つまりどのような種類の生物学的な葛藤をショックの瞬間に患者が経験したのか、どの器官が罹患しているのか、また同様に細胞増殖か細胞の減少が起こっているのかを精確に識別できるものである。

 すべての葛藤、すなわち意味深い生物学的な特別プログラムは、常に3つのレベルで同時進行する:精神、脳 そして 器官においてである。

卵巣がんでは、初めに卵巣がん、つまりコンパクトな腫瘍(組織のプラス)を示すいわゆる奇形腫なのか、あるいは間質性の卵巣壊疽(組織のマイナス)としての細胞減少なのかを区別しなければならない。

さて、我々は胎児の形成におけるさまざまな子葉について認識しているが、それらはすでに胎児の発生において形成されるもので、またそこからすべての器官が派生するものである:内胚葉、中胚葉及び外胚葉であり、つまり我々のすべての細胞あるいは器官はそれらのいわゆる子葉のいずれかに分類できるのである。

翻ってそこにはまた以下のことがらが属している:

  • ある決められた脳の部分(脳幹、小脳、大脳髄床及び大脳皮質)
  • ある決められた葛藤の種類、ひいては
  • ある決められた脳内の位置。
  • 特定の病理組織及び
  • 特定の子葉と親類関係にある細菌。

さらにまたすべてのいわゆる病気は、もう一つの発展の歴史から理解可能な生物学的な意味を持っている。

奇形腫(胚芽細胞の奇形腫)は、上部の位置は間脳にあるとはいえ、若い脳幹から司られている器官であるため、またそれにより例外の状態を取っているが、発展の歴史的にまだ脳幹に属している。その奇形腫は、あたかも繁殖について時代錯誤の脳幹の形をとっているかの様である。有機体はほとんど太古の繁殖のプログラムを取り返そうと試みている。

脳幹から司られているすべての器官は、葛藤の際にコンパクトなせん様細胞タイプの腫瘍を形成する。卵巣における葛藤の内容は、常に激しい喪失の葛藤であり、つまり子供、愛する人、しかしまた動物もである。

:患者の母が突然病院で亡くなった。患者は母親を長い間見舞っていなかったため、酷く自分を責めた。

DHSを決定的にするのは、何が起きたか(母を失った事)だけではなく、その起きた一部始終が葛藤を起こす状態であったはず、ということである。DHSのない通常の近しい親族の死における悲しみは、病気ではなく大変普通のできごとである。しかしDHSが襲ったということは、葛藤はまた喪失の葛藤だけに限るわけではない。

葛藤は母の死をすでに予測できた場合には、例えばまた縄張りの葛藤として、あるいは全く生物学的な葛藤として知覚されないかもしれない。あるいはその喪失が争いの中で起きた場合には、例えば女性であれば卵巣がんではなく乳がんが発生するかもしれない。

葛藤はしかしまた、ca-相において感覚的な麻痺を伴って別れの葛藤として知覚されるかもしれず、また子供/母あるいはパートナーについての葛藤かによって、左側あるいは右側の胸に、管状の乳管潰瘍の過程を発生させるかもしれない。それについての知覚のみが、どこに生物的な葛藤が襲うかを決定する。

葛藤が活発な相において、古い脳の図式(すなわち交感神経系)に基きほぼ太古の胎児が奇形腫として形成される。しかしこの繁殖の太古の形式は、今日もはや生きていくことができないため、またpcl-相(治癒相)においてマイコバクテリアにより解体される。

同時に奇形腫の成長に伴い、ca-相において真菌及びマイコバクテリア(例えば結核菌など、もしいくらか存在する場合は)が、後に腫瘍の解体に必要な量だけ増加する。

生物学的な意味は、この場合ca-相にあるのだが、親類が亡くなった後の古い形の繁殖である。我々が今日「クローン」と名付けるようなものである。

女性患者がその生物学的な葛藤を解決できると、彼女は「特別プログラム」の2番目の相である治癒相に入る。がんは停止し成長をやめるが、それぞれの胎児の組織は「胎児的な成長の勢い」を備えているため、成長の停止はまたやや遅れた時点で起こる。同時に真菌及びマイコバクテリアはDHSの時点から子葉の種類に応じて、また量的に腫瘍に釣り合って増加していたが、これが活発になり、不要になった腫瘍を乾酪化しながらの壊疽化を通して再び解体する。しかし治癒相の終わりまでに完了しないものは残ってしまうので、痛みなどの訴えを起こさないためどうしても必要ではないが、手術で取り去ることもできる。

脳幹においてはどちらききかということがまだ意味を持たなかったため、奇形腫が脳のレベルから器官のレベルへ交差しないのだが、小脳からは異なったふるまいをする。簡単に言えば、右側の小脳及び大脳の半分は体の左側部分を、またその逆に左側の小脳及び大脳の半分は体の右半分を担当している。

左きき、右きき ということは、脳から始まり、正確に言えば、まず小脳(中胚葉)より始まるが、小脳からはすべてどちら側かということが決められており、器官から脳へあるいは脳から器官へは関係性が常に一義的である。精神と脳あるいは脳と精神の間の関係性においてのみ、左ききと右ききに重要性が存在し、何故ならそれらはまた葛藤/脳についての道程をも決定するためである。それをもってそもそも人がどの葛藤により、どの「病気」に罹るのかが決定されるのである。

手叩き検査(拍手)は、どちらききかを調べるための最も確実な検査方法である:右手が上になった場合は右きき、反対に左手が上にある場合は左ききである。

全く別の様相を呈するのが卵巣壊疽(間質性の)であり、その際ハーマーの病巣は外側、大脳髄床の後方下部に存しており、すなわち間脳と隣接してはいるが、しかしながら別の子葉に属している。すべての大脳髄床から司られる器官は、葛藤の際に壊疽を形成し、つまり細胞の減少を起こす。

卵巣壊疽においてはしかし次の2つの葛藤の観点がある:

  1. 死別あるいは離別による喪失の葛藤(子供、妻、夫、両親、友人、動物)。
  2. 男性あるいは大変男性的な女性との醜い半分性的な葛藤。

ここにおいて半分性的という意味は、その葛藤の内容の重点が、純粋に性的な範囲に関連する(現実的なあるいは転化した意味合いでの)のみではなく、性的な課題が「伴奏曲」のように登場し、それによりこの葛藤がはっきりとした性的な葛藤というものとは異なっている場合である。

:若い女の子の大変男性的な継母が、庭のすべての花を、またましてや亡くなった母親の墓の花までもすべて引き裂いてしまった

壊疽は葛藤が活発な相においては、病理組織検査医がより小さくなった卵巣を偶然顕微鏡で調べでもしない限り、気づかれることがない。ここにおいて壊疽は、もともとの意味での卵巣の「がん」である。そのため結果としてエストロゲン分泌の減少がおこり、無月経につながる場合がある。

治癒相においては、その他の中胚葉の大脳に司られる器官と全く同様に、壊疽は再び新しい細胞で満たされる。また実際卵巣のカプセルは無いため、様々な大きさの卵巣のう胞(内部に液体を持つ)が形成され、それらは最初は液状であり、後にのう胞化(固化)し、つまりいわゆる間質的な中胚葉の組織で充てんされる。これらの間質性の組織が固化したのう胞は、これまで間違ってまた卵巣「がん」と呼ばれ、間質性の組織細胞が当初液体状であったのう胞内で増殖したために、さらに「勢いよく増殖する卵巣がん」とまで言われた。

のう胞は治癒相の初めに内部の器官に接していたるところから吸い上げ、これはこれまで「侵食性の成長」として間違って判断された。これはただ基本的に、9か月以内に動脈と静脈を伴った完璧な血液のシステムを構築し、自立した状態となるために、のう胞が周囲から血液を使って栄養を得なくてはならなかったという理由による。

自己の血液供給システム(卵巣のう胞-動脈及び静脈)が確実になるとすぐに、自分から癒着をすべて解き離す。するとのう胞は1㎝の厚さの固いカプセルを形成し、そのためこれが機械的に邪魔になるようであれば、手術でも簡単に切り離すことができる。

固化した元々の卵巣のう胞は、女性が10~20歳若く見えるように、後に大変多くのエストロゲンを分泌する。

より高いエストロゲン生成の生物学的な意味は、その女性がずっと若く見え、より大きなリビドーがあり、またより若く見える女性として男性にとってより強い魅力を持つというその点にある。彼女はそれによりまもなく再び妊娠するチャンスを得ることになる。そのような特別プログラムの「最終段階」とは、まさにその女性患者にお祝いを言うべき、そのことがらなのである。

逆に男性の場合にも、間質性の睾丸壊疽では、pcl-相においてより大きくなった睾丸が大変多くのテストステロンを生成し、男性が以前より男性的になるという、同様のことがらが起こる。

また腎臓においても固化した腎臓のう胞は、最終的に腎臓を「病気」の前よりもより良く尿を生成できるように改修し、治癒相が完結した後にも腎臓には以前よりもさらにプラスの機能が加わる。それはここにおいても大脳髄床に司られる器官の、常に治癒相の終わりにある生物学的な意味である。

卵巣及び腎臓のう胞においては、およそ妊娠期間のリズムに添って経過し、のう胞化(固化)するまでに9か月かかるものであるが、またそれらがその有機体から割り当てられた機能を果たせるようになるまで、9か月が経過する前に手術してはならない。

それらの急ぎ過ぎた手術においては、これまで現代医学では「浸潤性の」器官をも同時に取り除き(何故なら、上述のようにこの期間はのう胞が、自らの血液システムの構築のために、その他の腹腔内の器官に癒着しているため)、それによりしばしば腹腔がそのような大手術の後にただの空っぽの胴体になってしまっていた。

この哀れな患者の後追い的な葛藤については、ここではひとまず言及しないでおこう。しかし9か月の後に、12㎝までの小さなのう胞においては、もはやできれば全く手術をしないが、それは有機体が予定したように、こののう胞がホルモン生成の機能、あるいは腎臓のう胞(いわゆるヴィルムス腫瘍、のう胞化した形を腎芽腫とも呼ぶのであるが)が、尿の排出の機能を果たすからである。

ただこののう胞が機械的に大きな問題をもたらす顕著な症例では、例えばこれが大変大きく(6~8㎏)なると、9か月を経過した後の手術(つまりのう胞が固化した後の)は、想定され得る。そのような手術は、すべての膠着が途中の期間にすでに解かれており、枯れたカプセル状ののう胞として離れているため、手術の技術として見れば小さな執刀である。

この生物学的な経過はこれまで「悪性の浸潤性の腫瘍の増殖」として、間違って理解されてきた。その間違いはしかし自分でも犯していた:つまり浸潤性となった「腫瘍の部分」は手術において、半分固化したのう胞から流れ出し、またそれからさらに9か月の間成長し、また間違って再び切開されなければならなくなった場合である。そのためそれらは特に「悪性」とみなされたが、それは大きな間違いであり、何故ならこの間違ったいわゆる「転移」は、子宮筋腫と全く同様に、けなげにエストロゲンを生成するものだからである。

古い脳に司られる腫瘍においては、我々は現在まだ(狼が居なくなっても、我々がまだ森で猟師を必要とするように)外科医を必要とするが、それは我々がこの古い脳の腫瘍を外科的に掃除してくれるはずであった結核菌を無くしてしまったためである( 第4 の生物学的な自然法則を参照のこと)。

我々が現在認識するように、これまでのいわゆる現代医学のすべての予後は、ただ見かけ上正しかっただけで、つまり彼らが広めたパニックを通して、ほとんどは患者において一つの新たなDHSを、またそれによって条件を与えられた継続する葛藤(いわゆる「転移」)を発生させたのであり、これはしかし、これまで理解したところでは全く存在しないものであった。実際には、それらは全く間違いであった。何故なら動物はいわゆる転移、すなわち2番目のがんを全く稀にしか持たず、ほとんどの場合は生き延びることができるからである。現代医学におけるいわゆる5年の境界ラインに達することのできる2~3パーセントの人々は、ただ何等かの原因でパニックから抜け出すことができ、また当然彼らの葛藤を解決できた人々である。

古い脳に司られる、以前は意味を持っていた腫瘍で、治癒相にあるすでに必要のなくなった卵巣腫瘍(生物学的な意味はここにおいてca‐相にあるが)が、DHSにおいてすでにマイコバクテリアが存在していた場合再び取り除かれる一方、大脳髄床に司られる卵巣壊疽は、治癒相になって初めてのう胞を形成し、それは9か月の間に固化し、エストロゲンを生成する。ここにおいては生物学的意味はpcl-相に存するのである。

これに関して、我々がこれまで「病気」と呼んでいた経過についての理解が変化したとき、新しい術語がどれほど重要かを認識する。

我々のいわゆる「病気」と呼んでいたものは何だったのだろうか?今、我々が知っていた症状はそのままであるが、しかしまたただ症状だけである!我々は全く異なった理解を獲得したため、症状を完全に新しく分類し、新たに評価しなければならない。

我々がすべてのいわゆる病気(現在では:生物学的な特別プログラム)の2相性の法則である第2.の生物学的自然法則で葛藤の解決を見る場合に観察するのは、我々が特別プログラムの数よりも、ずっと多くの間違った「病気」を知っていると信じていた、これを確認しなくてはならず、それはまた我々がそれぞれ両方の相において一つの独立した病気として見ていたためである。

 

著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士に帰する

翻訳:日本語作業チーム