アーカイブ資料 - 新しい医学について、ハーマー博士

リュケ・ゲーアド・ハーマー博士の歴史的な音声図書、生物学的な自然法則と「新しい医学」について

「当該カセットはアミチ・ディ・ディルク出版社より、リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士の新しい医学、特にがんのテーマについての概要として出版された。それはこのテーマへの迅速な導入を可能にし、またハーマー博士の書籍「Krebs-Krankheit der Seele、がん-魂の病(仮称)」及び「Verm'ächtnis einer neuen Medizin、新しい医学の遺産(仮称)」第1巻、がん、白血病、精神病及び癲癇を含む、腫瘍の個体発生的なシステム。」を補足するものとして企画された。

注意:ハーマー博士の研究は常に新しい知識と新たな発見と共に前進してきた。例えば、外胚葉の組織のpcl-相においては、助っ人(細菌)を必要としない、またウイルスは全く存在しない、あるいは彼が後になってからはコーチゾンをどちらかと言えば避けるようになった(腎臓集水管!)ことなどである。

 

 ポーランド語の字幕付き音声図書

ハーマー博士、あなたがそもそもがんというテーマに真剣に取り組むようになった、また精神と病気の関連性について思い至るようになったきっかけは何ですか?

1978年まで私はそれについて特別に取り組んでいたわけではありません。私は内科医で、15年間大学付属病院で働き、5年間は講師として学生に講義をしていて、数年間は自分の診療所を持っていた普通の内科医でした。言ったように1978年までは。そして恐ろしいことが起こったのです!気の狂ったようになったイタリアの王子が、ボートで眠っていた私の息子ディルクを、全くの理由もなく銃で撃ったのです。それは、よく言われる:「反対の足をとられる」ように私を襲う、全く予期せぬショックでした。それに対して私が全く無力で、また反応することができなかったショックです。

通常の葛藤とできごとは、我々にそれほどショックとして襲わず、我々は常に少しはそれに対して準備をするための時間と機会を持っています。それらは通常の問題や葛藤ですが、それに対して我々がそれについて準備できない、我々にショックとして襲い掛かる葛藤があり、それらを我々は生物学的な葛藤と名付けています。

そうして私は1978年にそのような生物学的な葛藤、睾丸がんを伴う、いわゆる喪失の葛藤に陥りました。そして私は当時、私がそれ以前に全くまともに病気をしたことがなかったため、この睾丸がんが何かしら私の息子の死と関係があるに違いないと考えました。

3年後私は、ミュンヘン大学付属のいわゆる婦人科系がん診療所で、内科の医長として私の女性患者さんたちを、患者さんたちのメカニズムも私と全く同様に経過したかどうか、それについて検査するための機会を得ました。それはつまり、その人たちもまた私のように、そのようなショック様の葛藤の経験をしたかどうかです。そして私は次のことを確認しました:その通り!すべて例外なくそのようなショックの経験があり、その時点から彼女らが冷たい手をしており、体重が減少し、夜はもはや眠れなくなり、またこの瞬間からがんが増殖したに違いないことを再構築できたのです。

この観点は、当時全くすべての現代医学的な想像に反するものであり、私が同僚たちにこの観点を説明したところ、私が即刻病院を去るか、あるいはもうこれを信じていないと宣誓するか、直ちに選択を迫られました。

それはまさに中世のお話のようですね!そしてその状況でどうされましたか?

はい、当然フリースラント出身者としては、信じていないと誓う、さらに反論せずに良心に背いて信じていないと宣誓するべきという、これはできませんので、そうはせず私はそこを去りました。私はこの追い出しを食ったことで生物学的な葛藤に、正確に言うと激烈な自己価値喪失の葛藤に陥りました。それに関して私はまだはっきりと思い出します。何故なら私は、人が良く論拠を正した新しい科学的な知識のために、それが反論され得なかったにも関わらず、診療所から追放されたということは、空恐ろしいことだと考えたからです。以前私はそんなことが起こり得るとは、思ってもみませんでした。それはまた、私がまだほとんど最後の日まで200名の患者を検査し、ほぼ最終日にいわゆるがんの鉄則が誕生したため、大変ドラマチックでもありました。

がんの鉄則の重要な判断基準とは何々かを、短くまた一般に理解しやすく説明していただけますか。

がんの鉄則は生物学的な法則です。それには3つの判断基準があります。最初の基準は:すべてのがんあるいはがんと等価の病気は、ディルク・ハーマー症候群を伴って発生する。すなわち、大変重篤で、激烈でドラマチックであり、孤独な状態で経験する葛藤の経験のショックです。同時にあるいはほぼ同時に3つのレベルにおいて。最初に:精神に。2番目に:脳内に、そして3番目に器官にです。

DHSはディルク・ハーマー症候群の略です。私自身、息子ディルクの死を通して、このショックの経験から睾丸がんに罹ったため、そう名付けたのです。このDHSはその時から新しい医学全体の起点であり作用点となりました。我々は今、すべての病気の症例においてDHSを、知識に基き、その全体の関連事項すべてをひっくるめて再構築することを試みなければなりません。我々は当時の特別な状況の中に自ら身を置いてみることを試みなければなりません。我々は、ただ当時の状況からのみ、何故誰かにこの問題が生物学的な葛藤 として降りかかったのか、何故それがそれほどドラマチックだったのか、何故罹患した人は当時孤独な状態であったのか、ひいては彼がそれについて話すことができる誰かが一人も居なかったのか、そして何故その問題が葛藤的であったのかを理解することができます。つまり襲われた人は、その問題に対して反応するための、2つの可能性の選択肢の間で決定することができなかった、あるいは全く可能性を持っていなかったのです。

良い医者は、乳児の心にも、さらに胎児でさえも、老人の、若い女の子のあるいはまた動物の心にも身を置こうと努力しなければなりません。そして彼は同時にまた、当時のありありとしたDHSの状況に身を置くことができなくてはなりません。ただそれを通してのみ、彼は我々が何百も持っているある問題と、また一つの生物学的な葛藤との相違を見つけることができるのです。

がんの鉄則にはしかし、さらにまだ2つの基準があるのですね!

そうです、2番目の基準は:葛藤の内容はDHSの瞬間にハーマーの病巣の脳内の位置と、さらにまたがんあるいはがんと等価の病気の、つまりがんと似たような病気の、器官における位置を定めます。

葛藤それ自体というものは無く、すべての葛藤が常に明らかに決められた内容を持っているのです。この定義はDHSの瞬間に決まります:葛藤の内容は連想的に、つまり意図的でない思考の連鎖と、またほとんどの場合我々の認識のフィルターを素通りして決まります。

そのように、例えば典型的な水、あるいは液体の葛藤とは:タンクトラックの運転手の場合、事故でオイルタンクからオイルが流れ出す、あるいは牛乳タンクトラックの運転手の場合、タンクから牛乳が全部流れ出すなど。これは水あるいは液体から連想され、またそのためその場で思考的に水に秩序付けられた生物学的な葛藤であり、短く水の葛藤と呼ばれ、腎臓がんの一種です。

それではつまり、それぞれの葛藤には明確に定められたがんと、明確に定められた脳内の位置とが属しているというのですね!

そうです、特別に規定された脳内のリレーです。

水あるいは液体の葛藤を伴う腎臓がんの際には、それに応じて右あるいは左の腎臓において、DHSの瞬間に、すでに事前に決められた脳内の場所が短絡の状態に陥ります。この短絡をコンピュータ断層写真で撮影できます。その際この場所は、集中的な弓矢の的の多重円のように見える、あるいは水面に石をポチャンと落としたときにできる図のように見えます。この現象はこれまで放射線技師たちから常に人工的な産物、あるいは機器の人工的な不具合として間違って判断されていました。そのょうなリレーの変化を、ハーマーの病巣と呼びます。この表現はとりわけ、私が発見した個所をおかしなハーマーの病巣と呼んだ、私の敵方から出たものです。

そして、がんの鉄則の3番目の判断基準とは何ですか?

はい、3番目の基準は:葛藤の経過は脳内のハーマーの病巣の定められた経過に、また器官におけるがんあるいはがんと等価の病気の経過に、相応していることです。

短くまとめますと:この生物学的な葛藤は3つのレベルにおいて襲い掛かることを意味します。精神、脳、そして器官にほぼ同時にです。それは今手近にある、またいつでも無作為抽出の症例で、同時にまた葛藤の経過も、ひいてはすべて3つのレベルでの病気の経過も、同時進行であるということが証明可能です。

葛藤が解決され得る場合は、またこの解決を通じてすべて3つのレベルで同時進行的に変化が確認されます。すなわち、並行に進行しながらです。そしてまた、続く治癒の経過もすべて3つのレベルで同時進行的に経過します。ここでは固く自然科学的な意味での、いわゆる上位で決定されたシステムであるということです。その際一つのレベルを正しく知れば、その他の二つのレベルは明らかに推定し、見出せることを意味します。すなわち我々がその3つのレベルでのみ考え、しかしまた基本的には一つの有機体を有しているが、それは元々一体のものだということです。

これについて、一つちょっとした例を挙げます:1991年5月にウィーン近郊での講義の後、ある医者が最後にある男性患者の脳のコンピュータ断層写真を持ってきて、私にその他の20名の仲間たちのために、その中には多くの放射線技師たちとまたコンピュータ断層写真の専門家たちが居ましたが、患者に器官の所見があるか、またそれに属する葛藤を述べるようにと頼みました。私はその脳のCT写真から、治癒相にある出血したばかりの膀胱がん、古い前立腺がん、糖尿病、古い気管支がん及び一定の身体リレーの感覚的な麻痺、そして当然相応の葛藤の数々があることを診断しました。

そこでその医者は、同僚たち全員の前で立ち上がり、言いました:「ハーマーさん、おめでとうございます!5つの診断、5つとも当たっています。患者は全く正確にそれらを持っています。そしてそこから患者に現在あるものと、以前あったものまで区別できる。素晴らしいです!」

放射線技師の一人は次のように言いました:「今日から私はあなたのメソッドについて正しいと確信しました。だってどうやってあなたは出血している膀胱がんを当てることができるでしょうか?」

私自身そのCTを全く所見無しで評価しました。しかし、彼らが私たちにリレーを示した後に、私はそれらの所見を確認することができます。

もう少し精神的なレベルについて話したいと思います。私が相応のがんの病を発症させるようなあるショックに実際に襲われたかどうか、どのようにしてそれは発見できますか。どのようにそれを認識できますか?

はい、そこには我々が毎日どこでも至るところで抱くような通常の葛藤や問題と、はっきりと区別できる大変正確な兆候があります。何故なら、正確に DHSの時点から、患者はいわゆる継続的交感神経系にあり、継続的ストレス状態にあるからです。すなわち:彼は大変手足が冷たい。彼は食欲がなくなり、体重が減少し、夜もう眠れなくなり、ほとんど昼も夜もただ彼の葛藤のことばかり考えている。そしてこの状態は患者がこの葛藤を解決できたときに初めて、再び変化するのです。

つまり通常の葛藤や問題に対して、これらの生物学的な葛藤において我々は、患者が継続的なストレス状態に陥り、全く特定の症状を示すことを見受けます。つまりがんの増殖と、我々が通常脳内に最初の瞬間から見ることができる、この脳内の病巣以外にも、患者は人が見過ごすことのできない、よく知られていて大変正確に定義された精神的な症状を示します。

そのような生物学的な葛藤が解決されたときは、そもそも一体何が起きるのですか?

この場合我々はまた再び精神的なレベルにおいて、脳のレベルで、また器官のレベルにおいて大変明らかな症状を見受けます。精神的なレベルで、また植物的なレベルですが、我々は患者が突然昼も夜も彼の葛藤についてばかり考えなくなることを見出します。彼は突然手が大変熱くなり、再び食欲があり、再び良く眠れるようになり、また彼が葛藤が活発な交感神経系の相で失った分の体重が増加します。彼はとりわけ大変だるくて疲れており、しばしばただ横になっています。これはしかし全く終わりの始まりではなく、大変良好な兆候なのです!

この治癒相は、事前にあった葛藤の継続期間に応じて、異なった長さの期間継続します。葛藤が継続した期間とまたほぼ同じ程度です。体内で多くの水分が貯留されていた、治癒相のクライマックスには、我々は様々な症状を伴い、すべての病気において見受けられる、癲癇あるいは癲癇的な危機を確認します。この危機の時点から、体は水腫の水分を再び排泄し始め、ゆっくりと平常状態へと戻っていきます。同様のリズムで、患者は自分にゆっくりと体力が戻ってくることに気づきます。

また脳のレベルでは、我々は治癒相の間に並行して、葛藤が活発な相 において弓矢の的の形成を示していたハーマーの病巣が、そのとき水腫になるのを確認します。つまり、暗く色付けされ、またコンピータ断層写真の多重円がふやけて、また暗くなり、そして脳内のリレー全体が強く膨張した状態になります。

今述べました、癲癇あるいは癲癇性の危機は、元々脳から発生するものですが、またそこで水腫のクライマックスをマークし、つまり平常状態への折り返し地点をマークするものです。

治癒相の2番目の半分の期間に、脳内ではハーマーの病巣の修復の目的で、害のない脳内結合組織、いわゆるグリアが蓄積されます。この全くもって害のない、我々がCTにおいてヨードの造影剤を使って白く着色できる脳内結合組織を、人はかつてしばしば間違っていわゆる脳腫瘍として見ており、また全くの無知からこれを手術で除去していました。

脳細胞それ自体は、誕生後全く増殖することができません。その限りにおいて、真の脳腫瘍というものが絶対に有り得ないのです。

器官のレベルでは、我々はそのときこれまでで最も重要とされる、がんがこれ以上増殖しないことを確認します。つまり、我々が葛藤の溶融と呼ぶ葛藤の解決をもって、この生物学的な葛藤の葛藤解決の始まりをもって、がんの増殖もまた停止します。またそれは同時に、ある大変重要な知識であり、言ってみればすでに事前プログラムされていた治療です。

また器官のレベルでは、我々は大変明確に定められた補修の手順を見出しますが、これについては後にまだ詳しく述べたいと思います。

また癲癇の危機は、両方のその他のレベルにおいて、また器官においても相応の兆候を伴って起こります。

その癲癇の危機とは、一体どのようなものかを説明していただけますか?

癲癇の危機は母なる自然が何百万年もの間行使してきた、ある手順です。それはすべて3つのレベルで同時に経過します。治癒相の頂点において起きる、この危機の意味と目的は、ただ平常状態に戻るためにあります。我々が通常、筋肉の痙攣を伴う、癲癇の痙攣発作と名付けるものは、癲癇の危機のただある特別な形であるに過ぎません。つまり運動的な葛藤の解決の後の危機です。

癲癇とよく似た、つまり癲癇性の危機を、人はすべての病気において、しかし基本的にそれぞれの病気で少しずつ異なった様相を呈した形で見出します。母なる自然は、この意味を持った手順をほぼあるトリックとして思いついたかのようです。患者はつまり治癒相の真ん中で、再び生体的な葛藤の再発を経験します。すなわち、すべての患者に、再び短期間彼の葛藤が目の前に現れ、それはそれ相応の結果を招き、彼が大変短いストレス相に陥り、冷たい手を持ち、冷たい汗を伴って集中化が起こり、またすべての葛藤が活発なときの症状を短い間再び経験します。

意味と目的はすでに述べたように、脳の水腫が圧縮され、また排泄されるべきであり、また患者が再び平常状態に戻るということにあります。

癲癇の危機の後、患者は再び暖かくなります。患者はその後、最初の小さな多尿の相を経験します。癲癇の危機の時点から、患者はまっすぐに平常状態への道程を進んでいきます。それは、患者がこの危機を乗り越えることができれば、通常は興奮するようなことや、まずいことはもはや起きないことを意味します。

治癒相の終りには2番目の、つまり大きな多尿の相が起こり、くだけた言い方をすればおしっこの相と呼びますが、そこでは体は残りの水腫を完璧に排泄します。

危険なポイントは癲癇あるいは癲癇性の危機の終りのところにあります。何故ならそこでは、舵をこちらへ切り返すために癲癇性の危機が充分であったかが示されるためです。

最も良く知られている癲癇の危機は心筋梗塞です。さらなる癲癇性の危機は例えば、肺気腫、肝炎の危機あるいはいわゆる肺炎の危機です。体がコースの転換を乗り切るために、我々は重篤な症例においては、つまり葛藤が長期に渡っていた場合、大量のコーチゾン投与によって支援します。大変重篤な症例ではコーチゾンを事前に与えることもあり得ます。

できればいくつか典型的な葛藤の例を挙げて、とりわけまた興味があると思われる、一体何故生物学的な葛藤と名付けるのかを説明してもらえますか?

我々が生物学的葛藤と呼ぶのは、それらが発展の歴史的に理解するべきもので、また人間と動物においてアナログ的に見出され、またアナログで経過するからです。それらは我々がその他に持っているような問題や葛藤とは、また知能の高い心理学的な葛藤とは何の関係もありません。それらは根本的に別の性質を持った葛藤です。それらは自然から我々の脳の考古学的な生態行動プログラムの中に、ほぼ計画に組み込まれた故障ケースの数々です。人は考えていると考えています。実際には葛藤は、1秒の速さで人がまだ考え始める前に、すでに連想的に葛藤が襲ったのです。

例としては:狼が母羊から子羊を奪うと、その際母羊は母/子の葛藤に陥り、人間の母親と全く同じです。その母羊はその乳竿がんを、人間の母親が彼女の乳がんを病むのと同様の側に病みます。その母羊が右蹄ききか左蹄ききかによって、あるいは右(手)ききか左(手)ききかによってです。その母親にとって母/子の生態行動のリレーがある、その同様の場所に、故障の際には母/子の葛藤の、あるいは巣の縄張りの葛藤のハーマーの病巣があります。またこの同様の場所に、乳児においてまたその子/母の絆のための、特に乳を吸う生態行動のためのリレーがあり、また故障の際には子/母の葛藤のためのハーマーの病巣があります。

すべての我々の生物学的な葛藤を、我々は発展の歴史的に整理することができます。我々は何時そのそれぞれ特別な生態行動様式が発展の歴史的に展開してきたか、またプログラミングされたのかということを認識しています。そしてそのため、一緒に属している器官と脳の範囲があるだけではなく、また葛藤も発展の歴史的に姉妹関係を築いているのです。すべての精神的に親類関係を持つ故障は、すでに述べたように我々の脳の中にぴったりと隣あって存在しており、またそれらは発展の歴史的に見てみると、器官的に隣り合って存在し、またそれらは同様の病理組織学的な細胞の構成を示します。

我々の有機体を発展の歴史的に観察することを学ぶ時、自然の素晴らしい秩序が見えてきます。

いくつか人間の日常生活の中での例を挙げてもらえますか?

はい、考えてみましょう。母が子供の手を握っていて、歩道に立ってご近所の方と話をしています。そして子供が手を振りほどいて、道路に飛び出し、通過する車のブレーキ音が鋭く聞こえます。子供は車にぶつかった、あるいは轢かれてしまいます。母はこのようなことが起こるとは全く予期していなかった、そして冷酷に突然反対の足をとられた。彼女は驚愕で立ち尽くします!子供は病院に運ばれ、何日も生死の境をさまようかもしれません。母親は氷のように冷たい手をして、もはや眠ることはできず、食べることもできず、継続的ストレス状態に陥ります!そしてその瞬間から、彼女が右ききであれば彼女の左の胸に、しこりが成長してきます。彼女は右の小脳内に弓矢の的の形成を伴う、典型的な母/子の葛藤に陥いっているのです。

さてこの母親が子供を病院から再び家に連れて帰れて、また医師たちが彼女に「子供の経過は大変良好で、また元通り元気になりました!」と言う。その瞬間から、葛藤の解決相に入る。葛藤は溶解し、その瞬間から彼女はまた再び暖かい手をして、再び眠れるようになり、体重増加が見られ、食欲旺盛になります。

これが、典型的な葛藤の経過で、それは人間と動物にほとんど同様です。

その他の例:ある女性が夫が親友と一緒にベットにいる現場を押さえてしまった。彼女は、性的な欲求不満の葛藤に陥る。生物学的な言語では、器官のレベルにおいて子宮頚がんを伴う、結婚してもらえない葛藤です。その女性が右ききだった場合です。しかしながら同様の状況において、すべての人間が必ずしも同じ葛藤に陥るという結果となるとは限りません。何故なら、その女性がどちらにしろすでに夫に心を寄せていないのであれば、そしてとっくに離婚を考えていたのであれば、彼女はこの浮気現場を押さえたことを、性的な葛藤としてではなく、家族の連帯の欠如として、とにかくも人間的な葛藤として感じるでしょう。この葛藤はパートナーの葛藤となり、そしてその女性が右ききであれば右側の胸にがんを起こさせるでしょう。

つまり精神的に見ると、同じできごとが、ただ見かけ上同様のできごとでも、様々な精神的な脳内配置において、実際にはしかし全く異なっています。決定的なことは、ただ起こったことだけではなく、患者がそれをDHSの瞬間に精神的にどのように経験するかです。

同様のできごとは、その女性が夫を大変醜い状態で、例えば娼婦と一緒にいるところを見た場合は、また低血糖症、つまり血液中の糖分が低い状態を引き起こす、恐怖/むかつきの葛藤となるかもしれません。あるいは、もしその女性が夫を20歳も若い女の子と居るところを見つけたのであれば、それは性的な葛藤を伴ってか伴わずか、ある自己価値喪失を起こさせるかも知れません。その感じはその際何か次のようなものでしょう:「そう、これでは私は張り合えない、私は彼にそんなものは提供できない!」。そのような場合には、骨格のシステムにおいて骨盤の恥骨に骨溶融を罹患し、つまり性的な自己価値喪失の兆候として石灰質喪失を起こすでしょう。

患者がDHS の瞬間考えたことを探り出すためには、すべてこれらの物事を知っていなければなりません。何故なら、この瞬間に、病気がさらなる経過の間にその上を走っていく線路が敷かれるからです。この線路は、すべて起こり得る後のぶり返しと再発が、再びこの一度敷かれた線路の上を通過するため、大変大きな意味を持つイメージであると言えます。文字通り葛藤アレルギーと言っても良いものです。

ハーマー博士、がんの鉄則を使ってすでに患者を治療することはできますか?

原則的には可能です!しかし、がんの鉄則は新しい医学の最初の生物学的な自然法則に過ぎません。しかし全部で4つの生物学的な法則があり、私が経験的に発見したものです。つまり、これまで集められ記録された1万5千の症例の観察に基くものです。

確信を持って作業したければ、すべての症例についてすべて4つの生物学的な法則について検査するべきでしょう。

順番に見て行きましょう:博士が発見された2番目の生物学的な法則は何ですか?

新しい医学の2番目の生物学的な法則は、病気の2相性の法則です。

がんだけではなく、すべての病気ですか?

はい、医学全体のすべての病気はこの2相性で経過します。以前我々はこの相関関係を知らなかったために、大まかに見て1000の病気を確認していました。そのうちの500は冷たい病気で、その際患者は皮膚の血管が細くなっており、青白く、体重が減少していました。その他の500は熱い病気で、発熱し、血管は広がり、食欲が旺盛、しかし大変強い疲労感がありました。すべてこれらの間違ってみられていた病気は、それぞれ独自の病気として認識されていたのです。

今、我々はすべては正しくなかったことを理解しています。それらは、それぞれ半分の病気だった、そして結果的に現在我々はただ、おおまかに見て、2相性である500の病気を確認しています。最初の相は、常に冷たい、葛藤が活発な、交感神経系のストレス相です。そして2番目の相は、葛藤の解決 が起きた場合には、常に熱い、葛藤が解決した、迷走神経系の治癒相です。脳内には、自明のこととしてこの両方の相に応じたハーマーの病巣が、同じ場所に存在します。それは同じハーマーの病巣であると言えます。それは葛藤が活発な間は、はっきりとした弓矢の的の多重円を形成し、治癒相においてはこれらの多重円は水腫となって溶けて流れ出しています。

これらの各例において我々は、これからまだお互いに話していきたいのですが、今言ったこの二つの生物学的な法則が、がんだけでなく、すべて医学全体に当てはまるものであることを理解できます。

また若い鹿によって縄張りから追い出されるすべての鹿は、継続的ストレス状態にあり、生物学的な葛藤、つまり縄張りの葛藤に陥っており、脳の右側、ほぼ右の耳の上あたりにハーマーの病巣をもっています。その鹿は今走り出して、彼の縄張りを取り返そうと、ただそれだけを考えています。彼は継続的なストレス状態にあるため、食べることをせず、眠りもせず、体重は減少します。彼は心臓の刺すような痛みがあり、狭心症です。器官的にみれば:潰瘍、つまり冠状動脈の内部に小さな潰瘍がいくつもできているのです。彼はパワー全開で走ります。そしてそれがうまくいって、彼がそのようにパワー全開で走ることによって、彼のライバルを再び縄張りから追い出し、またその縄張りを取り戻すことができれば、その瞬間から彼は継続的迷走神経系に入ります。彼は再びよく食べるようになり、強い疲労感が彼に襲い、また体重が増加し、熱い四肢を持つようになります。治癒相の頂点において、彼は癲癇性の危機として心筋梗塞に罹ります。彼がそれを乗り越えられる場合、彼はその縄張りを再び所有することを許さるのです。

それが動物の世界での経過であり、人間の場合と全く同様です。

人間男性においては、おそらく縄張りに農場、自分の事業所、家族あるいは彼の職場が相当するでしょう。人間において、我々には多くの部分的な縄張りがあります。車でさえ、縄張りになることがあります。人間においては、心筋梗塞はただ葛藤が少なくとも3~4か月継続した場合にのみ気づくもので、そして通常その葛藤が1年以上も継続した場合には、そして人が迷走神経系の治癒状態に入ったことを見逃した場合には、死に至ります。その場合脳内CT撮影は、診断的に即座に更なる補助となります。

人はおそらく、何故医者はこの2相性が大変素晴らしく規則的なのにも関わらず、そのすべての病気の2相性の法則に、すでにずっと以前から気が付かなかったのだろうか?と質問することでしょう。どのように以前難しかったかの答えは大変簡単です。それは単にただ一部の葛藤のみが解決を見たからという、そこにありました。葛藤が解決され得なかった場合、病気は1相性に留まります。つまり、その個体は、葛藤が活発な状態にとどまり、どんどん痩せていき、また最終的には消耗により、あるいは悪液質により死にます。

病気の2相性の法則は、厳しく見ればその個体が葛藤の解決に到達できる場合、ただそのような症例にのみ該当します。同様に、しかしこの法則は、科目的にすべての病気に、あるいはすべての葛藤に、基本的にどのような形であれ解決されることができるすべての葛藤に、当てはまります。

ハーマー博士、あなたが発見した3番目の生物学的な法則とは何ですか?

それは、個体発生的な腫瘍と、がんと等価の病気のシステムです。

「個体発生的」という表現は何を意味していますか?

「個体発生的な」という用語はここでは、人類の発展の歴史から導出させることができる、すべての医学における病気です。

あなたはどうしてそこに思い至ったのですか?

私は大変多くの症例を観察しました。その時点に至るまで、私が腫瘍とがんと等価の病気の個体発生的なシステムを発見したところまでで、約1万件です。そして私はまじめな科学者が作業するべく、つまり真に経験的に作業したのです。私はつまりすべての症例を真面目に記録し、脳内のコンピュータ断層写真を、そしてその病理学的な所見を収集し、そして私は常にすべてを一緒に突き合わせて、また比較しました。そして、ご覧なさい、そこにはその日まで人が有り得ないと思っていたような、息を飲むばかりの結果が現れました。そこにシステムがあったのです!

そこには、葛藤が活発な相において、コンパクトな腫瘍が成長していた、つまり細胞増殖ですが、そういう多くの患者が居て、またその他には、何か治癒相において、葛藤の溶融の後、迷走神経系の相に成長していた物があったのです!そして、それらは全く同じものとは言い難かった。

つまり二つの種類の細胞増殖があったのです!

一つの種類の細胞増殖は、葛藤が活発な交感神経系の相にあり、またもう一つの種類の細胞増殖は、葛藤が活発な相に細胞溶融あるいは細胞収縮を起こしていた穴、壊疽あるいば潰瘍、我々が潰瘍と呼ぶものを持っていた病気の、治癒相にあります。この病気はつまり、治癒相において細胞増殖を起こしていたのです。

さて私は何度も何度もこの様々な兆候を比較しました。そして私は述べたように、あるシステムを発見したのです。そして葛藤が活発な相において細胞増殖によって形成されていた腫瘍は、そのリレーを常に脳内の隣り合った位置に持っており、またすべて脳幹と小脳の中に持っていたのです。この両方の脳の部位を一緒にして我々は古い脳と呼んでいます。

さて、葛藤が活発な相 において細胞増殖をするすべてのがんの病は、そこから指揮されている制御場所のリレーを、古い脳の中に持っていたのです。

そしてすべて治癒相において細胞増殖を成すいわゆる腫瘍は、基本的にただ治癒の過剰になった形のもので、葛藤が活発な相においては、穴や潰瘍、あるいは壊疽だったものです。そしてそのリレーは常に脳の中の大脳にあるのです。

この法則としての相関関係の知識は、いわゆる「腫瘍とがんと等価の病気の個体発生的なシステム」の誕生であり、それは1987年でした。

がんの鉄則と、すべての病気の2相性の法則の後の、医学全体で最初のシステム的な分類でした!「個体発生的な」という用語はここにおいて、脳内のハーマーの病巣の位置決定も、腫瘍あるいは壊疽の種類も、つまりその病理組織学的な構成も、偶然などではなく、人類の発展の歴史を通して、すべて大変論理的また理解可能な形で、つまり個体発生的に事前に決定されているということを意味します。

個体発生は、系統発生の反復発生であると言われています。それは、人類までの様々な種の発展は、子供の胎児の時期に、また乳児の時期に再び跡をたどっていけるものであることを意味します。我々は現在、胎児の発達において、すでに胎児の発達の最も初期の段階で形成され、またそこからすべての器官が派生する、3つの様々な子葉を認識しています。内側の子葉あるいは内胚葉、中間の子葉あるいは中胚葉、そして外側の子葉あるいは外胚葉です。すべての細胞、ひいては身体のすべての器官は、これらのいわゆる子葉のうちの一つに割り当てられています。

内側の子葉から発達した細胞ひいては器官は、そのリレー、すなわちその制御場所を脳の最も古い部分である、脳幹の中に持っています。この内側の子葉に属している器官は、がんの際にせん様タイプのコンパクトな腫瘍を伴って細胞増殖をします。

外側の子葉から発達した細胞ひいては器官は、その制御リレーを我々の脳の最も若い部分である大脳の皮質に持っています。それらはすべてがんの際に、潰瘍の形で細胞の溶融を引き起こし、あるいはしかし器官のレべルでの、例えば糖尿病や麻痺などの機能不良を起こさせます。

中間の子葉において我々は、より古いグループと若いグループを区別します。中間の子葉のより古いグループに属している細胞ひいては器官は、そのリレーを小脳の中に持ち、つまりそれらはまだ古い脳に属しており、そのためがんの際には葛藤が活発な相において同様に、せん様細胞タイプのコンパクトな腫瘍を起こさせます。

中間の子葉のより若いグループに属する細胞ひいては器官は、その制御場所を大脳髄床に持ち、がんの際には葛藤が活発な相において壊疽あるいは組織の穴、ひいては細胞の溶融を起こさせます。例えば、骨組織中、脾臓内、腎臓内あるいは卵巣内の穴で、それぞれ骨粗鬆症、脾臓壊疽、腎臓壊疽、また卵巣壊疽と呼ばれるものです。

ここでは、がんが全く意味のない現象でも、偶然に野蛮になってしまった細胞でもなく、大変良く理解可能な、またすでに事前に予測できる経過であり、個体発生的な与条件を大変正確に保持していることが確認できます。

増殖はつまり、そのように私には思われるのですが、即増殖ではないのですね。この様々な増殖について、一定の病気を例にとって、全体をもう一度明らかに説明してもらえますか。

はい、それはそもそも何故人がこれまですべてのがんの発生についてシステムをもたらすことができなかったかの理由であり、それはまた全くシステムが無かったためなのです!

学校医学とも呼ばれ、私が現在「生徒の医学」と名付ける、これまでの医学の考え方では、人は元々お互いに全くシステム的に関係の無い分類の仕方を採用していました。がんとは、細胞が過剰な成長を起こすときである、とされていたのです。

しかし我々が今見受けるように、細胞は全く様々な相において、過度の成長をします。つまり、葛藤が活発な相において、細胞が増殖することもあり、また葛藤の治癒相においても過分な増殖を起こすことがあります。

例えば:ある患者が消化できない葛藤を持っている場合です!彼はある獲物の塊をほぼすでに飲み込んだ、しかし彼はそれを消化することができない。例えば彼は家をすでに購入し、そして突然売買契約が無効だということを知った。彼は騙されたのであり、彼はその家を再び失う。その際彼は、例えば胃がんに罹るかもしれず、つまり胃の中の非情に強い細胞増殖であり、我々がせん様がんと呼ぶ、カリフラワー様に成長する胃のせん様がんのことです。

彼は葛藤が活発な相においてこのがんに罹患し、またそれに属する病巣は古い脳内に、脳幹の右側の、いわゆる橋梁部にあります。

別の例:ある患者が水の葛藤、つまり液体の葛藤に陥る、水あるいは類似のものに関連したものです。例えば、地中海で泳いでいるときに若い患者が力尽きて溺れそうになり、そして文字通り間一髪で救助され、また蘇生された。その時点から、彼は何か月もの間溺れる夢を見続け、また二度と再び水に近づこうとしなくなった。その際彼は腎臓柔組織の壊疽-がんに罹患し、腎臓柔組織中、すなわち腎臓の組織に細胞の溶融、つまり壊疽が起きる。最終的にすべての腎臓組織が使い果たされ、腎臓の機能が失われるまでです。

何年もの後、患者の小さな娘がどうしても海で水遊びをしたくなり、患者が初めて再び海で一緒に休暇を取ったために、その葛藤が解決されたとき、治癒相においては大きな腎臓のう胞が形成され、つまり治癒相における細胞増殖が起きます。そして、我々が結合組織の一つの形であると称する、この固く固化するのう胞の本来の意味は、再び腎臓の組織となって尿を排泄するという目的を持っているのです。

その際我々は一体全体、そもそもがんの本来の意味は何だったのか、あるいはおそらくまた今日今でも何なのかと言う、その質問にたどり着きます。つまり、このがんあるいは腫瘍は意味の無いものなどでは全くなく、何か意味深いものだったのではないかと。

さて、例えば獲物の塊がすでに胃の中にある時、つまりすでに飲み下したが、それが大きすぎたため消化されることができない時、その際有機体はある非常に強力ないわゆる腫瘍を作りました。この腫瘍はしかし何か意味の無いものではなく、それは消化細胞つまり大腸細胞で、非情に多くの消化液を生成し、またそうしてこの獲物の塊を消化可能にし、動物の世界において獲物の塊がさらに先へ運ばれ消化されることができるようにします。

我々はまた全く同様に、この腎臓のう胞が、その際また実際に尿を排泄できる新しい一つの大きな腎臓を構築するという意味を、元々持っていたことを確認したのです。それがつまり、我々が以前区別できなかった、今はしかし正確に区別することができ、我々がまた脳内を検査することができ、病理組織的な構成と、葛藤を分類できる、この様々な腫瘍の細胞増殖の意味です。

そして、すべてこれらの相関関係は、この「個体発生的な腫瘍とがんと等価の病気のシステム」の中に包括されています。何故なら我々が医学全体で認識しているすべての病気は、これら4つの生物学的な法則に従って経過するものだからです。この生物学的な法則に従い、中でも今またこの個体発生的な腫瘍とがんと等価の病気のシステムに従って、問診そして再構築が可能です。精神において、また脳内においても、同じ相のそれぞれすべての兆候が、同様です。ただ器官のレベルでは異なります。大脳に司られている器官では同様の葛藤が活発な相において穴、壊疽あるいは潰瘍を起こし、つまり細胞の溶融を起こす一方、古い脳に司られている器官は葛藤が活発な相において細胞増殖を示します。治癒相においてはすべて全く反対にふるまいます。治癒相において大脳に司られている器官の穴や潰瘍が、ウイルスとバクテリアの助けを得て、炎症を起こしながら再び充てんされる一方、古い脳に司られている器官はその腫瘍を特別な細菌の助けを得て再び解体します。

そこではもうすでに全く4番目の法則に入って来たと思うのですが。

はい、「個体発生に則した細菌のシステム」です。

ハーマー博士、あなたのシステムの中で細菌はどのような役割を果たしているのですか?この関連では、免疫システムについて大変しばしば聞きますが。

我々はこれまで細菌をそれらがいわゆる感染症に働くものであろうと、ただそのように理解していました。そして、我々がいわゆる感染症において、常にこの細菌を発見したため、この観点はほとんど的を得ているであろうと考えていました。

ただ、それが正しくなかったのです!

そして、免疫システム全体がまた、ただ仮説の数々からできたある大きな蜃気楼だったのです。それは、我々がこの間違って言われていた感染症についても、またこの最初の相を忘れていた、あるいは見過ごしていたからです。この間違って言われていた感染症には、常に葛藤が活発な相が先行していたのです!そして、葛藤の解決 があって初めて、これらの細菌は活発になることを許されます。そしてそれらは我々の脳によって指揮され、活性化されるのです。それらはつまり我々の敵ではなく、我々を助けてくれるもので、我々の命令に従って仕事をしてくれるのです!我々の有機体の命令に従い、我々の脳に指揮されて。そしてそれらは我々を、不要になったがんの生成物、つまり腫瘍ですが、それらの役割が果たされもはや不要になると、これを片付けるという意味で助け、あるいはその他のグループ、つまり大脳グループですが、組織を破壊した穴や壊疽を、バクテリアやウイルスが再び構築するという意味で助けるのです。そのように、それらは我々の忠実な助っ人であり、我々の季節労働者なのです。

免疫システムについての、悪者の細菌に対して戦う軍隊としての想像は、単なる間違いに過ぎませんでした。

この関連で、結核ひいては肺結核が思い浮かびますが。肺結核を治してもらおうとして、50年前にサナトリウムに収容されていた人々は、一体どのようだったのですか?

胸膜結核を別にして、元々の肺結核に限った場合、肺結核は常に先行していた肺の丸い病巣のがんの治癒相であると言えます。この肺の単体がんの葛藤は、常に死の恐怖です。そして常に脳幹から指揮されています。さて葛藤が活発な相において成長し、治癒相においてはマイコバクテリアにより、つまり結核菌のバクテリアですが、それらがすでに存在している場合、解体され、乾酪化され、また咳で排出され、しばしばまた喀痰と呼ばれる血の混じった痰を伴いますが、人々はその際特別にショックを感じ、それがまたしばしば再び死の恐怖を引き起こし、そうして我々が悪循環に引き込まれることになったのです。しかし、動物においてはそれは元々計画通りに機能します。肺の腫瘍は乾酪化し、咳で排出され、また穴が残りますが、それ以前に肺にこのコンパクトな丸い単体のがんがあったときよりも、肺により良好な呼吸能力を与えます。とりわけ、この治癒相において結核-真菌性バクテリアが無い場合、丸い単体の病巣はそこに残ります。今日我々はしばしば、何十年も後にこの古い肺の丸い単体の病巣を見ますが、もはや成長できないのではなく、不活性化された状態にあります。その代わりに以前はもっと多くの空洞を見受けましたが、つまり空洞化された丸い病巣ですが、それはまだユビキタス(どこにでも現れる存在)な結核-真菌性バクテリアが存在していた時代です。

では、葛藤の実際の治療について話せますか。まずは対話療法となります?

まずそのようには言えません。我々はかつての精神分析治療のような対話療法をむしろ必要としません。さて、人は何かの問題についてお互いに話をしなければならない。それも当然しなければなりません!

しかし我々は、我々を再び動物の世界として俯瞰することが最善でしょう。何故なら動物はただ現実的な葛藤の解決を通して彼の葛藤を解決して、生き残ることができるからです。さて、鹿はただ彼がその縄張りを取り返した時にのみ生き残れます。動物の母親は、猛獣に子供を捕られてしまったときは、ただ彼女が猛獣を追い払い子供を再び取り戻すか、あるいは、母なる自然が補助手段を準備したのですが、こ              の母親ができる限り素早く再び新しい子供を持てれば、その際葛藤が実際に解決して、生き残れます。

そして我々はまた人間においても、元来そのようにまず一度は葛藤を現実的に解決することを試みなくてはなりません。つまり、実際に解決することをです。妻に去られた男の人は、妻を取り返す必要がある!あるいは、他の女性です。鹿は彼の縄張りを取り返す必要がある。あるいは新しい縄張りです。実際的な解決はとにかく最善で、また最も持続可能です。それはある決定的な解決なのです。

それが絶対的に不可能である場合に初めて、我々人間はほぼ2番目に最善の可能性として、言ってみれば努力してみるべき逃げの可能性として、対話療法を試みることができます。しかしまたここで、すぐ最初からこれまで常に応用されてきたすべての精神的な問題の治療について、述べなければなりませんが、それは常に:あなたは落ち着かなくてはならない、あなたはスイッチを切らなければならない、それによってあなたが初めて落ち着けるように、精神安定剤を飲まなければならない。しかし実際には母なる自然は、このストレスを意味の無い形でプログラムしたわけではなく、ただそのストレスを通して、その個体が彼の葛藤を解決できたのです。そして現実的な解決を見出だすためには、人はそもそもその個体から彼のストレスを取り上げる必要はなく、それによって彼が葛藤を解決できるように、できればもっと強めなくてはならないのです!

その鹿に精神安定剤を与えたのであれば、彼はその縄張りを二度と再び取り返すことはできない。それどころか彼はほぼ活動中に麻痺したような状態であろう。精神病院でトランキライザーを与えることにより、つまり落ち着かせるための化学的な薬であるが、まず再発性の病気持ちがまさに育成されることを観察するであろう。そのように、この患者において、あらゆる自然の葛藤を解決する可能性を、気勢をくじいたことを観察する。それによってこれらの哀れな人間たちは、彼らの問題を二度と再び解決することはできず、そしてしばしば一生の間精神病院の格子の向こうで過ごすことになるのです。 

ハーマー博士、それではあなたが発見した4つの生物学的な法則を用いて、どのように具体的に治療としての作業を行いますか?

我々は患者が与えられた3つのレベルを持っていることを紹介しなければなりません。精神と脳とそして器官のレベルです。当然すべて3つが一つの有機体を形成しているわけですが。

治療はさてこれら3つの与えられたレベルにおいて展開していくべきで、あるいはこれらのレベルに広がっているのです。まず最初に必要なことはDHSで、つまりこの葛藤の内容を含めた葛藤のショックを見つけること、そしてすべて3つのレベルにおいて、できる限り具体的に定義することです。人はよくわきまえた上で注意深く作業しなければなりません。患者がどちら側の大脳半球で基本的に働いているのかを確認するために、患者が左ききか右ききかということを、考慮しなければなりません。

我々はその他に現在のホルモン状態を確認しなければなりません。例えば、女性の患者が性成熟期にある場合、彼女が妊娠しているかどうか、あるいは例えば卵巣のホルモン生成を妨害する、経口避妊薬を服用しているかどうかです。またあるいは彼女が更年期にあるかどうかです。

それと全く同様のことが男性においても、必要な変更を加えて当てはまります。

何故ならホルモンの変化を通して、患者が反応する脳の側が代わり、それによりピルを服用しているある女性が、男性的に反応し、そしてまた男性的な要求と葛藤を持つかもしれないからです。あるピルを服用している女性が例えば、パートナーが去ってしまう、あるいは彼女の縄張りから逃げ出した時に、通常男性的な縄張りの葛藤で反応します。

人はつまり葛藤をただ精神的なレベルにおいて発見しなくてはならないだけではなく、それをまた我々が既往歴として、また検査して確認するその時点での葛藤の相に応じて、正確に脳内での位置決定ができなくてはなりません。そして当然この葛藤、この器官におけるがんの病は、常に正確にこの脳内のハーマーの病巣に明らかな連携として存在するに違いないのです。

つまり、すべての決められた脳内の位置決定は、常に体のある一つの決められた場所にがんの病をもち、またその逆も真なりです。

我々はすでに、葛藤が精神から発して解決されなければならないことについて話しました。それは最も良いのは現実的に起こることです。葛藤にはある実際の問題がその基礎にあります。つまりその母の病気になっている、事故に遭っている子供は、可能な限り再び健康にならなければなりません。自分の職場を失った、またそのために縄張りの葛藤に陥った男性は、他の職場を見つけるか、あるいは彼がクラブの会員になるとか、年金取得者になり趣味に専念するなど、代りの縄張りを作り出さなくてはなりません。

そのように、それぞれの葛藤にはほとんどの場合、数多くの解決の可能性があります。

自然界では多くの解決策はすでに共にプログラミングされています。例えば、以前は羊の間では多くの子羊が猛獣によって食べられていました。母羊たちは彼女たちの葛藤を、再びすばやく妊娠した状態になり、そして新たな子羊たちを産むことによって、解決していました。

人間においては基本的に妊娠3か月目から、すべての葛藤やがんがそれ以上増殖することができずにストップしますが、それは自然界においては妊娠のために絶対的な優先順位が置かれているためです。

脳内のレベルにおけるほとんどの複雑化は、治癒相に起きるもので、その局所的な脳内水腫が治癒の兆候として発生する時、脳内圧が高まる時であり、また患者ができる限り昏睡状態に陥らないように、我々が注意しなくてはならない時です。この相は軽い場合はすでにコーヒー、お茶、ブドウ糖、ビタミンC、コカ・コーラ、そしておばあちゃんの時代のように頭に氷嚢を置くことでも助けになります。重篤な症例においては現時点では容認できる阻止性の形として、コーチゾンが手段の選択肢としてあります。コーチゾンは、がんに対してではなく、脳内水腫ひいてはすべての器官的な治癒相における水腫に対する、真に対症療法的な手段です。例えば、つまり骨膜の膨張によって引き起こされる、骨の痛みに対してなどです。

一般的な基本事項として、重篤な症例では次のことが当てはまります:液体を摂る量は少なくする、頭を高い位置にする、直射日光を避ける、側頭の脳内水腫の場合は、できる限り脳内水腫の側に寝ない。

器官のレベルにおいては、これまでたった一つ熱心に行われてきた治療とは、腫瘍あるいは人が腫瘍だと考えたものを、除去することでした。この腫瘍が、葛藤が活発な相に成長していたものであろうと、あるいは治癒相の細胞増殖であろうとお構いなしです。何でも同じ!すべては切開されました!

このレベルは今、現在全く新しい様相を呈しています!

その腫瘍は、葛藤が解決している場合は、全く稀な症例においてのみ依然手術されなければならない、あるいはその他放射線治療で取り除かれなければならない。それどころか、それらは本当に例外的な症例のみと言えるのです!

治癒の細胞増殖腫瘍は、それらを正しく命名しなくてはならないように、また大変稀にしか手術を必要とせず、それらが物理的に大変大きく邪魔になる場合や、その患者が大変大きく悪い影響があると感じる場合のみで、それは例えば大きな腎臓のう胞、あるいは先行して脾臓の壊疽を形成していた後の、治癒相における大きな脾臓などです。脾臓壊疽は翻って器官的な血と負傷の葛藤の基盤であったところで、葛藤が活発な相において血管瘤の沈殿を伴い、また治癒相においていわゆる脾臓肥大、つまり脾臓の拡大を伴うものです。

すなわち、我々はほとんどカードを新たにシャッフルし直さなければならないということです。

我々は、正確に新しい医学の新しい知識に基いて、我々が一体まだ何をしなければならないか、何が意味深いことで、何をもうしなくても良いのか?と考慮しなければなりません。何故なら我々がある患者に今日彼が小さな大腸腫瘍を手術されたいかどうかと選択肢を提供するとき、それについて属している葛藤が確実に解決されており、そしてこの腫瘍は確実に限界値に近い確率で、二度と再び成長しないであろうとはっきりと分っている場合、その際患者は当然我々に99.9%のケースにおいて次のように言うからです:先生、この腫瘍はそこに、できている場所に、そのままにしておきましょう。それは私が生きている次の30年40年の間、きっと私の邪魔をしないでしょうから!」

ハーマ―博士、がんの鉄則が何故鉄則と称するのかを説明していただけますか?

鉄というのはつまり、それがある生物学的な法則であるためです。そのような生物学的な法則は例えば、ある子供が常に一人の父親と一人の母親を持つ、つまり新しい子供が生まれるためには常に二人がそれに関与しているという、その中に存在します。そのように、我々は新しい医学においてほとんど鉄のような4つの生物学的な法則を持っています。

  • 第1番目はがんの鉄則です。
  • 第2番目は病気の2相性の法則です。
  • 第3番目は腫瘍とがんと等価の病気の個体発生的なシステムです。
  • そして第4番目は個体発生に則した細菌のシステムです。

これらすべての法則は、がんの鉄則と同様に鉄則であると言えます。そしてすべては固く自然科学的な意味で再構築可能です。すなわち、すべての身近な無作為抽出の例において検証が可能です。

人がある生物学的な法則を認識しているとして、その際ただどの法則に則して何かが経過するという、ある規則が存すると述べます。それは、その中に人が今何かをプログラミングすることを意味しません。それはつまり、同様の数学の規則に沿って、人が借金と貯金額を算出するようなものです。決定的なことは、有機体がプログラムする内容です。彼が葛藤の解決をプログラムすると、すなわち葛藤が解決されると、その際治療はほぼ自動的に経過するのです。彼がこの葛藤の解決をプログラムできないと、すなわちこの葛藤は解決されずにとどまり、その場合この個体は同様の法則に従って死ぬことになります。

そのため、この生物学的な法則は、生物学的な鉄則と呼ばれるのです。

この関連で、そもそも時間という因子はどのような役割を果たしますか?特に治癒相において予測される、複雑化についてですが。

患者は当然ドクターに質問します:「先生、私の病気が治るまでにだいたいどのくらいの期間がかかりますか?」そして、ここでは今日当然我々が首尾よく作業できた場合ですが、DHSを発見し、また葛藤の解決の時点を発見した場合、その際我々には葛藤がどのくらい長くかかったのかを計算することができます。我々はまた既往歴が良かった場合には、葛藤の強さがどの程度であったかを見出すことができます。そしてこの葛藤の期間と葛藤の強さから、我々は葛藤の量を推量できます。そして通常は、治癒相にある90%の症例において、重篤な複雑化は発生しません。それは残りの10%の問題にとどまるのです。

葛藤が長くかかった場合、あるいはまた強さが大変強かった場合、あるいはその両方の場合、それで患者が大きな葛藤の量を持っていた場合には、葛藤の解決の後に 治癒相の間に脳内水腫及び特に癲癇のあるいは 癲癇性の危機の形での、複雑化が起こるおそれがあります。

この複雑化を認識していなければなりません!

それらは、述べたように症例の10%のみが実際に大変重篤です。また時には死に至ることもあります。しかし、我々が現在それを認識し、また当初から我々がそれに合わせて準備でき、また我々の薬、特にコーチゾンをもって事前に対処して制御可能になって以来、この複雑化の大半はコントロールできるようになってきました。そのように以前は確かに一定の確率で死に至っていたものが、今日では我々が患者にこの治癒相を乗り越えさせることに成功しています。

しかし特に大変重要なことは、すべてこれらの複雑化において、現在患者が彼の病気に対して全く別の姿勢で向き合うということです。何故なら彼はそのとき、ドクターが実際にすべての病気の経過について、つまり葛藤が活発な相と葛藤が解決した相とを知っており、そしてすべて一つ一つの手当てあるいは治療の行程の一歩ごとに実際に意味深く、またその状況に相応して舵取りをしてくれることに気づいたからです。それを通して患者の医師に対する大変大きな信頼が構築されます。

そしてそれはまた、もっともな成り行きです!

すなわち、我々は現在新しい医学をもって、以前古い学校医学ではできなかったこと、実際に狙いを定めて、また知識を携えて治療することができるのです。

この知識を通じて病気全体の経過について知らされると、患者はほとんど全くパニックには陥りません。以前医師が彼に、扁桃腺に膿がありますと言ったときにパニックに陥った人々は?誰も陥りませんでした!その膿をもった扁桃腺とは何だったのですか?答えは:扁桃腺せん様がんの後の治癒相です。今日医師はますます多くのケースで扁桃腺から検体を取り、また患者たちに、正しいことではあるのですが、彼らは扁桃腺がんですと告げます。その結果として、新しい医学を知らない患者は、完全なパニックに陥ってしまいます。これは新しい葛藤のショックの原因となる可能性があり、例えばがん-不安のパニックあるいは死の恐怖のパニックで、それらは新しいがんを発生させます。そしてこれがドクターの最初の診断が見かけ上正しかったことを誇らしげに保証してくれるのです!

そして動物においては何が起きるでしょう?動物の世界で、我々はほとんど全くいわゆる転移が起こるのを見ません。

クラーゲンフルトの教授が、それを一度次のように表現しました:「ハーマーは我々をすべて危なっかしい足取りのやつらと呼ぶ!彼は言っている:動物たちは幸せた!霊長類の声を理解できない!だから彼らには転移が起きないのた。」

そうですか、あなたの考えでは転移は存在しないのですか?

はっきりと、無いと言えます!無知の医学生徒たちが転移として見ていた物は、新しいがんでした。新しい葛藤のショックから引き起こされたものです。すなわち、とにかく医学診断的に、つまり医師によって引き起こされた診断と予後のショックです。

転移のおとぎ話は多くの証明されていない、また証明されることができない仮説からのおとぎ話でした。まだ一人の研究者も、一度もがん細胞をいわゆるがん患者の動脈の血液中に発見してはいないのです。それというのも外周部で、つまり身体の外の部分で泳ぎ回れるものであれば、そこで人はそれらを見つけなくてはならないはずです。また仮説のおとぎ話では、がん細胞がそのまだ決して確認されたことのない血液中で、ましてや道中において変化する、そして例えば大腸ではカリフラワー様のコンパクトな腫瘍を起こした大腸がん細胞が、突然骨の中に成長し、そこでそれらは骨溶解に化身することができるという、それは全くの気違い沙汰で、また中世的な独善主義です。

個体発生的なシステムを通して、ある細胞、例えばそれ以前に古い脳から司られていた、そしてコンパクトな腫瘍をつくっていた細胞が、突然所属する脳内のリレーを去り、突然細胞減少を製造するために大脳に連結するということは、決定的に正しくないという証明がなされたと言えます。その2番目と3番目のがんの約80%が、現在の学校医学的な似非治療の気違い製造機を通して、医学生徒たちによって引き起こされたと考えることができます。

ハーマー博士、がんの経過において、いわゆる発がん性物質はどのような役割を担っていますか?つまり、がんを起こさせる物質、あるいはまた例えば健康な食餌とは?それらはがんを阻止したり増殖の速度を遅くさせたりできますか?

発がん性の物質はありません!

人は大変多くの動物実験をしましたが、まだ一度もどれかの動物実験で発がん性の物質があることが実際に発見されたことはありません。人は、当然またそのような馬鹿げた実験を行ったのです。どぶねずみに、彼らが通常大変大回りして避けて通るような、恐ろしい高濃度のホルムアルデヒドを1年中鼻の中に注射し、そして哀れな動物たちは最終的に鼻粘膜がんに罹りました。しかし、彼らはその物質によってそのがんに罹ったのではなく、哀れなどぶねずみがこの物質を大嫌いなためで、彼らはそれにより鼻粘膜の葛藤に陥ったのです。つまり我々は、これがDHSであり、嗅ぎたくないという生物学的な葛藤であると、そのように言えるのです。

また人が器官において、その脳への神経経絡を断たれた時、がんを発生させることができないことも、知られていることです。それでもなお、人は気の狂ったように今ではほぼ1500もの発がん性物質と言われているものを見つけ出し、それらはただそのような馬鹿げた動物実験の仕様手順により、いわゆる発がん性物質として、作り出された物なのです。

それは、すべてこれらの物質が、我々に対して毒性を持たないに違いないということを意味しませんが、しかしそれらは少なくとも脳を素通りしてはがんを起こさせません。何しろ、これまでがんは器官の細胞が偶然にあばれ者になってしまった結果であると考えられてきたのですから。

すべてこれらの想像、喫煙ががんを起こさせる、あるいはアニリンががんを起こさせる、あるいは云々、それらはすべて全くの仮説です。また決して証明されたこともありませんし、それらは証明不可能です。全く反対の例があります!人はたばこの煙の中にさらされた6000匹のゴールドハムスターと、それに対して6年間全くたばこの煙にさらされなかった6000匹のゴールドハムスターを比較して、煙にさらされた方が平均して長く生きられたことを発見しました。人は単に、ゴールドハムスターが地下に住んでいるため、全く煙を恐れないことを見過ごしていたのです。そのため彼らには脳内にコードが無く、煙に対するアラーム信号灯を持っていないのです。

それに対して、家ねずみにおいては全く反対です!彼らはほんの少しの煙の発生でも、完璧な死の恐怖のパニックに襲われ逃げ出します。人が中世において一群のネズミがある家から逃げ出すのを見たら、人はどこかに火事があるのだなと知っていました。これらのねずみの一部において、人は煙にさらすことによって、実際に死の恐怖の葛藤により発生する、肺の丸い単体病巣のがんを生成することができます。

この両方の例で、今日行われているほとんどすべての動物実験が、たたの意味のない動物虐待であることを明らかにするには、充分であると言えます。何しろ人はすべてこれらの実験において、動物の心を存在しないものと見ているのですから。

端的に言えば、脳を素通りして、直接に器官に対して効力を持つような、発がん性物質のための証拠は全くありません。

放射線の照射はいかがですか?

例えばチェルノブイリの原子力事故で漏れ出した放射線の照射は、身体の細胞を無差別に破壊しますが、その際しかし、それらが自然的に最も大きな分裂率を持っているため、芽細胞と骨髄細胞が最も大きく破壊されます。我々の血液が生成されるところの、骨髄が破壊され、そして身体が治癒を開始することができれば、その際我々は、基本的に自己価値喪失の葛藤により引き起こされた、骨がんの後の治癒相における白血病と同じ様に、白血病を確認します。

我々は厳密にみれば、白血病の血液の症状は、性質的に定められていないと言わなければなりません。それはすなわち、ただがんにおいてだけではなく、その他すべての骨髄の治癒において言えることです。白血病患者からほとんど生き残っていないのは、お馬鹿の学校医学者により、化学療法と放射線治療をもって、まだ存在している骨髄の最後の残りを破壊されてしまうため、ただその理由によるものです。つまり、そもそも必要であることとは全く反対のことをしているのです!

まとめると:放射線は悪い、細胞を破壊する、しかしがんを起こさせない、何故ならがんはただ脳においてのみ発生させることができるからです。

では、健康的な食餌とは?

がんを阻止することができると謳われる健康な食餌、それはまた馬鹿げたことです。健康的に栄養を取っている個体、人間あるいは動物が、すべての種類の葛藤に、より陥りにくいことは、当然自明のことです。金持ちの人々は当然、より多くの葛藤を厚い小切手の束で解決できるため、金持ちの人が貧乏な人に比べて、10分の1しかがんに罹らないことと全く同様です。そのようにまた、強い者と健康な動物は、病気で年取った動物より当然より少ししかがんに罹りません。それは自明なことで、自然界に存在する事象なのです。しかしそのため、年齢が発がん性物質なのではなく、年老いた動物が単により弱いということです。その年老いた鹿は単により弱く、またエネルギーに満ち溢れた若い鹿に比べて、より簡単に彼の縄張りから追い出されるのです。

ハーマー博士、新しい医学においてそもそも痛みはどのような役割を担っていますか?これまでの医学ではそれは否定的な兆候として見られていましたが。

はい、痛みは特に難しい大項目です。

様々な痛みの性質があります。狭心症のような、あるいは胃潰瘍の際の葛藤が活発な相に起こる痛みがあります。そしてその他のグループは、治癒相における痛みで、それは炎症あるいは水腫によって、あるいはまた瘢痕化の際に引き起こされます。

葛藤が活発な相における痛みは、例えば狭心症の痛みですが、 葛藤の解決の瞬間に消えてしまいます。この痛みは、人がそれを望めば精神的に解決することができます。

その反対に、治癒の痛みは、基本的に何か良い事なのですが、ただ患者が相関関係を理解し、また彼がやり遂げるべき実際の大きな作業のように、その痛みに自分を合わせる場合に、効果的に対処することができます。

当然患者に痛みを投薬的に、また外的な手当てで軽減するための多くの可能性があります。基本的に痛みは人間と動物において生物学的な意味を持っています。つまりその際、それによって治癒が効果的に経過するように、有機体全体及び器官が安静にされるという意味です。

そのように例えば、骨がんの治癒では、治癒相における骨膜の伸長において強い痛みが起こります。あるいは、例えば肝臓のう胞の緊張で、それは肝臓の炎症のあいだ、肝炎的な治癒相の痛みを起こします。

そこでは、また治癒相後期における瘢痕の痛みと呼べるものもあります。例えば、胸膜がんの後の胸膜血腫の厚皮化です。あるいは腹膜血腫の厚皮化で、腹膜がんの後の治癒相を顕しています。

今日の医学において最もひどいことは、すべてのがんに罹っていて、それがただ大変軽いものであったとしても痛みのある患者は、その瞬間にモルヒネあるいはモルヒネと類似の薬を投与されることです。このモルヒネは迷走神経系の深い時点においては、ただ1本の注射で死に至らせるおそれがあります。それは脳の振動の全体を恐ろしい形で変化させ、また患者から彼の意欲を完全に奪ってしまいます。その時点から、大腸もまた麻痺します。つまり、もはや全く栄養が消化されることができなくなり、患者は意思が無く、また彼がそこではすでに治癒相にあったのにも関わらず、そして自然の事の経過ではすでに何週間ばかりかの間に再び健康になっていたであろうに、彼が事実上殺されるということに、もはや気づくことはありません。

人が刑務所の囚人に2週間後に死刑執行されるであろうと言うとき、その際たとえ最も極悪な犯罪者のためであろうとも、その人には大きな同情の念が沸き起こるであろう。しかし、一人の患者に今14日の間に完了するであろうモルヒネの注射の形での死刑執行を始めますと言うならば、その際彼は殺させるよりはできれば彼の痛みを我慢するであろう。

患者が後になって、しかしながら相対的には短かかった痛みの時間を後に振り返ってみると、その際彼らは人が彼らを2~3週間のモルヒネ、ヴォルトラール、ヴァレロンあるいはテムゲジックの後、治癒相において確実に死んでいたであろうというモルヒネ死から守ってくれたことを感謝します。

そう、医師たちはそれを知らないのではと、あなたは疑問を持って質問するのですね!

もちろん医師たちはこれを知っています!彼らは独善的な、また居心地の良い位置に立ち続けているのです。「痛み、それは終わりの始まりであり、そこではどちらにしろもはやするべきことは無い。さあ、すぐに始めましょう、物事を簡単にするために。」

自然的ながんの治癒は、単に独善的な理由から無視され、それによってがんはさらに、ある必ず死に至る病気であり続け、また何も知らない患者は操作され易い状態にとどまっているのです。

新しい医学の最重要点をまとめていただけますか?核心は何ですか?

新しい医学は、これまでの仮説の医学を完全に覆すことです。

現代医学はそれらが事実因子の総体から、全く何も知ることなしに、常に統計学的に作業していたため、五百から千もの仮説と、数千の追加の仮説を必要としていました。

新しい医学は医学全体において初めて、我々の病気がどの生物学的な法則に則って経過するかを認識しています。そしてそれは、基本的にまた真の病気ではなく、この葛藤が活発な相は必要なことであり、それが自然の枠組みの中で我々が持っていたある葛藤を解決することを助け、その葛藤が我々にとって元々何か良いことであるということを認識しているのです。

そしてそもそも初めて我々が我々の病気を一つの共観福音、一つの総観として見ることが可能なのです。精神的なレベル、脳のレベルそして器官のレベルでです。同時にこれら4つの生物学的な法則とその医学は初めて再び一つの芸術となります。

健康な人智と暖かい手を持った医師のための芸術です。

新しい医学はもはや止めることはできません!またそれと一緒に一新される新しい考え方も、もう止めることはできません。

人類の最もひどい形での、つまり自分自身から完全に逸脱させる、奴隷化は終わりを迎えます。自分自身と自分の肉体における自然な信頼の完全な喪失、彼の有機体の声に本能的に耳を澄ますことを放棄したことで起きた不安は、その地盤が根本から覆されるでしょう。

精神と身体の相関関係の理解をもって初めて、予後的に回避できないと吹聴される危険の前で、患者がそれを信じるため、それを通して今初めて回避できなくなり、また死に至ることになるという、パニックを起こさせる不合理な不安のメカニズムを、患者は理解することになります。それは彼が不安に陥るからなのです!

そのように自己破壊的ながんのメカニズムと吹聴されていることへの不安も、終わることなく命を消費する転移の成長等々と吹聴されているものへの不安も、そして限りなく助長された医師の権力の殻もまた終わりを告げます。これらの権力の殻を被った医師たちが、真実において決して負うことをしなかった、また決して負うことができなかったその責任を、彼らは今病人たちに自ら償わなければなりません。

この新しい医学は、それを真に理解する人々にとって真の自由を意味します!

ハーマー博士、あなたの著書「新しい医学の遺産(仮称)」は何を意味するのですか?

私は新しい医学の知識を、私の亡くなった息子ディルクの遺産として感じているのです。その死を通して私が自分自身がんに罹ったのです。私はこの遺産を、該当するすべての患者さんたちに誠実な心で手渡していくために管理しています。それによって、彼らがこの新しい医学の助けを借りて、彼らの病気を理解し、またそれを通じて克服し、また再び健康になれるようにするためです。


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