ゲルマニッシェ ハイルクンデ®への導入

リュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士

ゲルマニッシェ ハイルクンデ®の

5つの生物学的な自然法則

1981年に発見されたゲルマニッシェ ハイルクンデ®は、固く自然科学的で、ただ5つの生物学的な自然法則のみを持ち、また全く仮説を持たない。それは正確に生きている有機体の医学的、生物学的な相関関係を、

精神、脳そして 器官の

統一体として説明する。

ゲルマニッシェ ハイルクンデ®において、もしかしたら精神的な経過が身体的な経過を「起こさせる」かもしれないのではと質問する、そのような考えは馬鹿げている。ゲルマニッシェ ハイルクンデ®においては、精神的な経過は並行して、また同時に進行する脳内の経過と同様の意味を持ち、また肉体的、器官的な経過とも同じく同時進行である。すべての精神と器官の経過は脳と結びついており、またそこにおいて調整されている。脳はほぼ我々有機体の大きなコンピュータであり、精神はプログラマー、身体と精神は翻ってコンピュータの端末機器同様であり、これは適正化されたプログラミングにおいても、またプログラムの故障においても同様である。その際決して、精神が脳と器官をプログラムするのみではなく、器官もまた怪我などの際には、ほぼ自動的に脳と精神のプログラムを誘導できるのである。それによりゲルマニッシェ ハイルクンデ®は基本的にすべてのこれまでの医学的な方向性、特にいわゆる現代医学とは、異なったものである。

医学の歴史において初めて、今すべての無作為抽出の患者の症例を固く自然科学的に再構築できる、自然科学的な医学がある。このことは1998年9月8日と9日にトゥルナヴァ大学(スロヴァキア)において実例紹介され、また公式に正しいことが証明された!

我々は今日まで医学を大きく世界観的、神学的に善の悪との闘い、病気にさせるもの対健康を守るものというように見ていた。我々はいわゆる「病気」を自然の故障、器官の不全、また神の罰として捉えていた。そのため我々は、「悪性のできもの」また「良性のできもの」という風に論じた。我々は、がん細胞と細菌を、善の軍隊(例えば免疫システム)をもって、また良い医者、多くの良い薬、手術、放射線照射等々の助けを得て、闘わなければならない悪あるいは悪性の軍隊として想像していた。我々は、悪魔の頭目ベルゼブブを使って、あるいはエクソシストの悪霊払いを使って悪魔を追い払うべきであり、がんとは最悪の細胞毒をもって戦わなければならないとまで考えた。医学は大きな間違いの上にあぐらをかいており、そのため我々は以前決して医学の中にシステムを見出すことができなかった。

ゲルマニッシェ ハイルクンデ®は人間、動物また植物にもあてはり、単細胞生物にさえ、つまり全宇宙にあてはまる。またそれはすべてのいわゆる病気(そもそも存在するすべての病気)にあてはまり、何故ならそれらはそれぞれが通常の2相性の「意味深い生物学的な特別プログラム」(SBS) のうちの一つの相であり、またそれらはすべてこのゲルマニッシェ ハイルクンデ®の5つの生物学的な自然法則に添って経過するものだからである。すべてのいわゆる病気の引き金となるものは、常に生物学的な葛藤で、大変ドラマチックなショックの経験であり、DHSと呼ばれるものである。

第1の自然法則-がんの鉄則-それには3つの基準がある:

第1の基準:

すべてのがんあるいはがんと等価の病気はDHSを伴って発生し、すなわち最も重篤で、大変強烈でドラマチックな、また孤独な状態で発生する葛藤のショックの経験であり、同時にあるいはほぼ同時に精神、脳及び器官のすべて3つのレベルに起こるものである。

... 反対の足をとられた

 DHS (ディルク・ハーマー症候群)はある重篤な、大変強烈でドラマチックなまた孤独な状態での経験で、その個体が「ふいに反対の足をとられる」ように襲うが、しかし同時にまた故障を再び元通りにするための自然のチャンスでもある。何故ならこの瞬間に実際同時に特別プログラムのスイッチが入るからである:精神、脳、器官において、またそこにおいて確認でき、見ることができ、また計測可能なものである!この衝撃の予期しなかったという襲いかかり方は、その際葛藤の「心理学的評価」よりもより大きな意味を持つ。

それはまた常に葛藤としての経験であり、受けた人がどの道変えることのできないような、運命の仕打ちやできごとなどではない。

DHSから正確に、患者は継続的ストレス状態になり、つまり手足が大変冷たく、昼も夜も葛藤のことばかり考え、またそれを解決しようと試みる。患者は夜眠れなくなり、またもし眠れても夜の最初の半分に30分単位で眠るだけであり、もはや食欲がなくなり体重が減少する。

第2の基準:

DHSの瞬間に葛藤の内容が、脳内のハーマーの病巣の位置を決定し、また器官におけるがんあるいはがんと等価の病気の位置をも決定する。

葛藤それ自体というものはなく、それぞれの葛藤はある大変特定の内容を持ち、またその内容がDHSの瞬間に意味づけされる。葛藤の内容は連想的に、つまり無意識の思考秩序を通して、またほとんどの場合我々の思考のフィルターを素通りして表現される。人は考えていると考えるが、実際には葛藤は1秒よりも早くすでに考え始める前に襲っている。この予期しないショックは、脳内コンピュータ断層写真(CT)の助けを得て写真に撮影できる跡を残す。そのようなリレーをハーマーの病巣(HH)と名付ける。このHHは弓矢の的の集中的な多重円のように見えるか、あるいは石をポチャンと落としたとき水面にできる模様のように見受けられる。

すなわちそれぞれの葛藤の内容には、ある明確に定められたがん及び明確に定められた脳内の位置が割り当てられているのである。しかし素晴らしいことは、ゲルマニッシェ ハイルクンデ®においては何と、我々がただ生物学的な葛藤の種類、さらに葛藤の内容、またどの器官が罹患しているか、細胞増殖あるいは細胞減少が起きているのかを脳のCTから直ちに確定できるだけではなく、葛藤が活発な相(ca-相)にあるのかあるいはすでに治癒相(pcl-相)にあるのかを刑事事件捜査的に割り出すことが可能なことである。

第3の基準:

葛藤の経過は脳内のハーマーの病巣の定められた経過に相応し、大変明確に定められた器官におけるがんあるいはがんと等価の病気に相応して起こる。(すべてがんでないものは、がんと等価であり、それによってすべてのいわゆる病気を指している)

基本的にそれは何か予定されていることではあるが、継続的ストレス(交感神経系)により、その時点で脳神経のコミュニケーション回線が大規模に損傷し、つまりそれは常により大きな面積に襲っているか、あるいは一度襲われた場所がより集中的に変化している状態である。同時に器官のがんが進行し、身体の器官ががんにより大きくなったり、小さくなったりあるいはいずれの場合にも何らがの変化を示す。

その状態とは:葛藤がより強い場合、器官への影響もより強くなり、葛藤が弱まれば、その他のレベルでも弱まる。葛藤が解決すると、その場合またすべて3つのレベルで葛藤の解決が起きる。再発が起きれば、つまり葛藤がぶり返せば、再びすべて3つのレベルで再発が起きる。

 DHS の瞬間に、しかしまだ多くのことが起きるおそれがあり、それはこの瞬間に線路が敷かれるということである。線路は追加的な葛藤の観点、あるいは追加的なDHSの瞬間の認識である。人間と動物はDHSの瞬間に、それについて意識していなくても、また随伴現象までストロボの瞬間撮影のように、さらに音あるいは声、匂い、すべての種類の感覚、また味覚の衝撃、そしてそれらの記憶を実際生涯に渡って保持する。患者が後にそのような線路に乗ってしまうと、葛藤全体の再発につながる恐れがある。

患者が彼の生物学的な葛藤の解決に成功すると、彼は特別プログラムの2番目の相である治癒相に入る。正確に治癒相の開始をもって、有機体は身体器官の細胞の増殖であれ、あるいは細胞の減少であれ、また当然襲われた脳のリレーまで、損傷の補修を始めるのである。また葛藤が長く続けば続くほど、より大きくなり、補修もより長くかかる。

葛藤の解決の初めを持って、有機体は再びストレス相から迷走神経系と呼ばれる休息相へとスイッチが切り替わる。

器官のレベルにおいては、我々はこのとき、これまでで最も重要とされることを見受ける:がんが止まるのである!また脳のレベルにおいてはそれに並行して、ハーマーの病巣がそのとき水腫になっていくのを見受ける。


脳内コンピュータ断層写真(CT)

素人にも明らかに認識できる:多重円の水腫形成を伴う弓矢の的の形(解決相が始まりつつある)

 

第2の自然法則は葛藤が解決した場合の、すべての病気の2相性の法則である

医学全体のすべての病気は、葛藤の解決を見た場合には2相性の現象である。

我々は以前我々の医学の教科書に書かれていた何百かの「冷たい病気」と、同様に何百かの「熱い病気」を認識していた。「冷たい病気」は、患者が冷たい表皮、冷たい手足を持っており、継続的ストレス状態にあったもので、体重は減少し、入眠と朝までの通眠に問題があった。その他の種類の「病気」では、患者が暖かいあるいは熱い手足をしており、ほとんどの場合発熱し、食欲があり、しかし疲労倦怠感があった。

いわゆる「冷たい病気」においては、次に続く治癒相を見過ごし、あるいは一つの「病気」として誤った判断がなされた。いわゆる「熱い病気」の際には、常に葛藤が活発な相の後の治癒相を表していたが、それも同様にこの冷たい相を見逃しており、あるいは独自の「病気」として誤診されていた。

脳内では両方の相において、ハーマーの病巣が同じ場所にあるが、しかしながら異なった状態にある:葛藤が活発な相においては常に多重円がはっきりと描かれ、いわゆる弓矢の的の形を成し、また葛藤が解決した相においてはハーマーの病巣はふやけた状態で水腫化している。

おそらく、何故医者はすべての病気の2相性の法則を、これらがそれほど規則的であるにも関わらず、これまで長い間認識しなかったのかと質問できるであろう。いかにそれが難しかったかの答えは簡単である:それはただ、すべての葛藤のうちの一部しか解決を見ないためという原因にあった。葛藤が解決されることが無く、病気が1相性に留まる場合、つまりその個体が葛藤が活発な相に留まる場合、常に痩せて行き、また最終的に衰弱あるいは悪液質により死亡する。

次の図は、どのように DHSによって通常の昼夜のリズムから継続的交感神経系になり、それが葛藤の解決で継続的迷走神経系が顕われるまで継続するかを表している。この継続的迷走神経系がほぼ最も深い点において癲癇の、または癲癇性の危機、あるいは交感神経系のとんがり部分により分断されており、これはいわゆる「おしっこの相」を伴って、貯蔵された液体の大部分を絞り出す、迷走神経系の折り返し点を示している。意味深い生物学的な特別プログラムが終了すると、初めて平常状態あるいは平常相が戻ってくる。

 

葛藤が解決したすべての病気には、葛藤が活発な相があり、また治癒相がある。そしてすべての治癒相には(葛藤が活発な再発によって中断されない限り)、癲癇性の危機つまり迷走神経系の最も深い位置にある治癒相の折り返し点がある。

癲癇性の危機(EK)は母なる自然が何百万年もの間、実行してきた手段である。それはすべて3つのレベルで同時に起こる。治癒相の頂点に顕われる、この危機の意味と目的は、脳の水腫が圧縮、排泄され、また患者が平常状態に戻るということにある。我々が通常筋肉痙攣と呼ぶ、癲癇的な痙攣の発作は、ただ癲癇の危機のある特別な形であり、すなわち運動的な葛藤の解決の後に見られるものである。

癲癇性の危機、つまり癲癇と似ている危機は、すべての病気において見受けられるもので、基本的にそれぞれのいわゆる病気で少しずつ異なっている。ここでは運動性の葛藤の際のような強直痙攣性の痙攣発作ではなく、それぞれの生物学的な葛藤の種類と病気の種類で、その大変特殊な癲癇性の危機の形がある。一般に治癒相は多くの病気において全く危険のないものではなかったが、それはここでは気を付けていないと死に至る恐れさえある。

癲癇性の危機は、母なる自然が大変簡単な手段で、最も効果的な道具として創造したもので、そこにおいて癲癇性の危機はある大変強い、しかしながら短期間の葛藤の活発な状態を表し、すなわちこの危機において患者はもう一度彼のすべての葛藤の経過を早送りで経験する。そのため、例えば心筋梗塞においては大変強い狭心症の痛みを覚える。我々は、この癲癇性の危機の狭心症が、生き残りのためにそのすべてを決定する生物学的な意味を持っていたことを知らなかった。ところが癲癇性の危機の「秩序正しい経過」は、ここでは心筋梗塞であるが、「秩序正しい水腫の搾り出し」及びそれによる生き残りを決定するものである。そのためゲルマニッシェ ハイルクンデ®においては、我々はとにかく必要な際にはコーチゾンを与える。

そのように癲癇的な危機は、しばしば我々により大きな医療的責務を提示する:例えば、肺炎における 消散、縄張りの葛藤の後の心筋梗塞、肺気腫を伴う右心筋梗塞、あるいは別れの葛藤の後や、同様に糖尿病あるいは低血糖の際の失神である。癲癇性の危機は真実の時間である!最も危険な点は丁度危機の終わる時点であり、そこではその癲癇性の危機が舵をこちらへ切り返すのに充分であったかが示される。しかし、患者は常に知っていて良い:ほとんどの患者は生き残りを成し遂げているのである。

治癒相の後の半分の間(癲癇性の危機の始まりを含む)に、脳内には害のない脳内結合組織である、ハーマーの病巣の補修のための、いわゆるグリアが蓄積される。このハーマーの病巣は、CT写真では殆どの場合より大きな白いしみあるいは範囲であり、内部水腫と外周水腫がすでにない場合は治癒の終了を表している。

コンピュータ断層写真で脳内にグリアの蓄積が見出された場合や、またこれがまだヨードの造影剤で良く着色できる場合は、通常次の診断が下っていた:「脳腫瘍」! しかし脳腫瘍というものは、定義として存在しない。何故ならこれまで脳腫瘍として誤診されたような条件下でも、つまり単純にどのような条件下でも、脳細胞は出生後全く分裂することができないからである。増殖できるものは害のないグリア(脳の結合組織)であり、我々の身体の結合組織と全く同様の機能を持つものである。コンピュータ断層写真で見ることができるこの明るいグリアで固められたハーマーの病巣は、ハーマーの病巣での有機体の補修であり、つまり怖がらせたりあるいはましてや脳手術を行うようなことではなく、喜ばしいことなのである。

ゲルマニッシェ ハイルクンデ®において大変重要な基準はまた患者のきき手である。

手叩き検査

ゲルマニッシェ ハイルクンデ®では左ききか右ききかを知ることなく作業することはできない。患者は何歳か、性別は、またホルモン的な特別な状況あるいは考慮すべき介入(経口避妊薬、卵巣放射線照射、ホルモン摂取、閉経等々)があるかを知らなければならないのと同様に、患者が右ききか左ききかということを知らなければならない。

 

誰もが自身で確認することができる:劇場での拍手喝采のように手を叩いて、上にのっている手が主導的な手であり、その手がきき手である。右の手が上にのっている場合右ききであり、逆の場合、左の手が上にのっている場合は脳からして左ききである。この検査はある人がどちらの脳半球で働いているのかを知るために大変重要なことがらであり、というのも大変多くの矯正された左ききの人がいるためで、自分でも右ききだと思っているのである。しかし多くの人々が、右ききの人々がただ右手だけでしかできないようないくつかの重要なことがらを、彼らは左手でしかできないということを自覚している。多くは例えば書くことを右手でするように訓練され、またそのために右ききだと思っているのである。

簡単に言えば、右の小脳及び大脳の半分は主に左半身、また反対に、左の小脳及び大脳の半分は右半身を担当している。

左ききと右ききは脳に始まるが、より正確に言うと、小脳からであり、それは小脳からはすべてがどちら側であるかを定義付けされているからである。これに比べて脳幹においては実際左ききと右ききが特に意味を持っていない。

器官から脳、あるいは脳から器官へは相関関係が常に一義的である。ただ精神と脳あるいは脳と精神の間では左ききと右ききが重要性を持ち、それらがまた葛藤/脳内の道を決定する。それをもって、またそれに従って、患者がそもそもどの葛藤においてどの「病気」に罹る可能性があるかが決まる。

例:右ききの女性が自我の確立の葛藤において直腸がんを病むと、左ききの女性はそれに対して同様の葛藤において、胃あるいは胆のう道-潰瘍-がんに罹る。右ききの男性は縄張りの怒りの葛藤の際、胆のう道潰瘍-がんあるいは胃潰瘍-がんに罹るが、左ききの男性ではそれに対して同様の葛藤の経過において、直腸がんに罹る。

例えば右ききの女性では、左の胸はその女性の子供と母親と巣を担当しており、また右の胸はパートナーのためにあり、そこにはまた小さい子供、あるいは子供と感じている人間及び動物を除く、その他すべての人々が属している。左ききの女性では、全くその反対になる。

左ききは、生物学的な葛藤が主としてフロイド及びこれまでの心理学とは全く関係がなく、実際に生物学的に定義づけられていることを大変特別な形で我々に示す。

何故なら性的な葛藤を持つ左ききの若い女性は、男性の縄張りの葛藤(狭心症)の器官の症状を病み、またそのことから条件付けられて精神的な範囲で抑うつ状態を病んでいるためで、「真に心理的な」ということは全く意味をなさないであろう。左ききの女性はまたその卵巣の機能を決して失わず、つまり右ききの女性の場合では排卵をみなくなるが、左ききの女性はそれまで通り排卵及び月経血を持ち続ける。

その関連でまた興味深いことは、一卵性双生児では常に、一人は左ききでもう一人は右ききであるということである。

第3の自然法則は個体発生に則した、腫瘍とがんと等価の病気のシステムである

胎生学者は一般に胎児の発達を3つのいわゆる 子葉に分類する:内胚葉、中胚葉及び外肺葉であり、それらは胎児の発達の始まりからすでに形成されており、またすべての器官がそこから派生する。すべての細胞あるいはすべての体の器官は、これらの子葉のいづれかに分類することができる。そのためゲルマニッシェ ハイルクンデ®はすべてのいわゆる病気を子葉の属性に応じて秩序立てている。すべてこれらの様々な腫瘍、腫れ上がり、潰瘍は、その個体発展の歴史に従って、すなわち様々ないわゆる子葉の基準に従って整理してみると、同じ子葉への属性(中間の子葉はまだ小脳に司られる部分と大脳髄床に司られる部分とに分割できるが)を持つ「病気」は、さらにその他の特徴及び特性を示していることが確認できる。それは個体発展の歴史に条件付けされて、それぞれの子葉に、特定の脳の部位、特別な葛藤内容の種類、特定の脳内の位置決定、ある大変特別な病理組織、特定の子葉に親類となる細菌が属しているのであり、またその上さらにそれぞれのいわゆる病気が、実際には「意味深い自然の生物学的な特別プログラム」であり、加えてまたそれが個体発展の歴史的に説明できる生物学的な意味を持つのである。

内側の子葉から発達した細胞ひいては器官は、そこから制御されるための制御位置であるそのリレーを、脳の最も古い部分である脳幹に持つ。そしてまた我々はそこにも再び秩序正しい配置を見出すが、それらは右背面側から口の病気に始まり、鼻口腔そしてそれから反時計まわりに、また胃腸系統に相応して並び、S字結腸及び膀胱で終わるのである。病理組織学的にはここではすべてのがんは例外無しにせん様がんである。この子葉に属する器官は、がんの際に例えば肝臓、大腸内、肺の丸い病巣等々のような、せん様細胞タイプのコンパクトな腫瘍を伴う細胞増殖を起こす。

外側の子葉から発達したすべての細胞ひいては器官は、その制御のリレーを我々の脳の最も若い部分である大脳の皮質に持つ。それらはすべてがんの際には潰瘍という形での細胞の融解を起こし、しかしまた器官のレベルで例えば糖尿病や麻痺等々の機能障害を起こす。

中間の子葉において我々は、古いグループとより若いグループに分類する。

中間の子葉の古いグループに属する細胞ひいては器官は、そのリレーを小脳に持ち、それらはまだ古い脳に属しており、そのためがんの際には葛藤が活発な相において同様にコンパクトな、またせん様の細胞タイプの腫瘍を起こすが、例えば胸において、また黒色腫、あるいは心房内の心膜、胸部の胸膜あるいは腹部の腹膜における中皮腫である。

中間の子葉のより若いグループに属する細胞ひいては器官は、その制御の場所を大脳髄床に持ち、またがんの際には葛藤が活発な相において、例えば骨における穴、脾臓、腎臓あるいは卵巣において壊疽あるいは組織の穴、つまり細胞の融解を起こす。

我々が系統発生学的な進化においてより高く進化すればするほど、我々の脳のプログラムもより高い段階へ移行しまたより複雑になった。我々の脳幹の考古学的な最も古いプログラムから、すでにいくらか複雑な小脳の葛藤の内容へ、またすでにずっと複雑化した我々の大脳髄床の葛藤へ、そして我々の大脳皮質から制御されている皮質の葛藤の内容に至るまでである。

元々は、がんは強い細胞の増殖を伴った真の腫瘍と理解されていた。人はそれらの腫瘍の細胞が泳ぎ出し、また身体の他の場所に娘腫瘍を作ることができると想像したが、これはいわゆる「転移」であり、しかし実際には存在しないものであった。転移は常に2番目のあるいは3番目の葛藤であり、ほとんどの場合医療的に、つまり医者により引き起こされたものである。

今日いわゆる現代医学のある患者が「がん」という診断を告げられると、その際ほとんどの患者が一様にうちのめされるようなショックを感じ、彼はその場合直ちにさらなるパニックの葛藤を得て、そしてまたその葛藤が新しいがんを引き起こす恐れがあり、それが現代医学的にはいわゆる転移とされる。

転移のおとぎ話は証明されておらず、また証明され得ない仮説である。何故ならまだ一度も、一人の研究者もがん細胞をいわゆるがん患者の冠状動脈の血液中に見出すことはできていないからである。しかし、外周部分で、つまり身体の外部において泳ぎ回れるものであるなら、血液中にも見い出せるはずである。

またがん細胞が途中で、まだ一度も観察されたことのない血液中のその道中で、さらに変化までしたとすれば、また例えば大腸がんの細胞が、大腸の中ではカリフラワー様のコンパクトな腫瘍を作っていたものが、突然骨の中に入り込み、そこでそれらは骨溶融に化けることができるということは、明らかな気違い沙汰であり、また中世的な独善主義である。そこに2番目あるいはさらに3番目のがんがあるというその事実には、議論の余地はないが、しかしこの事実の評価については当然議論が可能であろう。

いわゆる子葉について、現代医学においてはもはや誰も興味を持っていなかった。誰もそれらがどれだけ重要なことがらかということを予想していなかった。またそれは、そもそもこれまですべてのがんの発生についてシステムを導入できなかった理由でもある。

そのため、将来の教科書ではいわゆる病気はもはやこれまでのような専科ごとに並べるのではなく、子葉の属性に応じるであろう。この順序はいわゆる病気あるいは自然の特別プログラムの、生物学的に自然な秩序である。

我々はすべての我々の生物学的な葛藤を、発展の歴史的に整理することができる。我々は、いつそれぞれの特別な行動様式が発展の歴史的に発達してきたか、またプログラム化されたのかを認識している。また、そのためただ共に属している器官と脳の範囲があるだけでなく、また発展の歴史的に姉妹関係となった葛藤があり、それらはすべて同様の病理組織学的な細胞構成を持ち、また治癒相においては我々はそこに常に同じ 細菌を見出す。

第4の自然法則は個体発生に則した細菌のシステムである

我々は細菌をこれまでただ、それらがいわゆる感染症に作用しているものと見ており、この見方はほぼ当たっていると考えていたが、それはいわゆる感染症において常にこれらの細菌を発見したためである。ただ、それが正しくなかったのである。何故ならこれら間違って言われてきた感染症では、その前に常に葛藤が活発な相 があったからである。また、葛藤の解決をもって初めてこれらの細菌たちが活動的になることを許される。それらは我々の脳により指揮され、また活動的にされる。また、それらはそのような意味で我々を助け、その任務を果たした後にもはや必要でなくなった、がんの不要になった成果物、つまり腫瘍を清掃し(真菌)、あるいは大脳のグループではバクテリアとウイルス(?)で組織の穴、壊疽、組織の破壊の再構築を助ける。そのように細菌は我々の誠実な助っ人であり、我々の季節労働者である。悪者の細菌に対して戦う免疫システムという想像は単に間違いであった。細菌は「病気」の引き金ではなく、治癒相を最適化するものなのである。

ゲルマニッシェ  ハイルクンデ®の第4の自然法則である、個体発生に則した細菌のシステムは、今翻って細菌を3つの 子葉に応じて分類するが、それはそれぞれの子葉に親類の器官のグループがまた、特定の子葉に親類となっている細菌に属しているからである。

我々のコンピュータである脳の、様々な脳内リレーにおける器官へのプログラミングと共に、また我々の大切な専門仕事師、細菌であるが、彼らが同時にプログラムに組み込まれたのである。

ここから以下のように帰結する、

  • 最も古い細菌、真菌と真菌性バクテリア(マイコバクテリア)は内胚葉の為に、場合によっては中胚葉の小脳のためにあり、とにかくただ古い脳から司られる器官について担当している。
  • 古い細菌、つまりバクテリアは中胚葉を、またそこから形成されたすべての器官を担当している。
  • 若い、いわゆる細菌、つまりウイルス(?)は、厳密な意味で言えば真の細菌とは言えず、つまり生物とは言えないが、これらはただ外胚葉のため、あるいは大脳から司られる器官について担当している。

この意味で担当しているというのは、それぞれの細菌グループがただ定められた器官のグループにのみ「働きかける」のであり、同じ子葉への属性を持ち、すなわち同じ子葉に由来するということである。

いつから細菌が「働きかけ」ても良いのかというその時点は、我々がこれまで間違って理解していたように、外部的な要因に左右されるのではなく、むしろただ我々のコンピュータである脳により決定される。

我々は、細菌を我々が駆除しなければならない、何か「悪意のある」ものとして見ていた。それは全くの間違いであった!我々は、我々の周囲に通常あるすべての種類の細菌を、大変緊急に必要としている。例えば「衛生上の理由から」マイコバクテリア(結核菌)が無い場合、我々は治癒相においてもはや再び腫瘍を解体することができない。それは、一連の腫瘍にとって恐ろしい結果を生む:甲状腺がんにおいて、例えば、葛藤の解決を見たにも関わらず、解体されることができないことを意味しており、またさらに大量のチロキシンが生成されることを意味する。その理由は、通常であれば腫瘍を解体してチロキシンの値を再び平常値に落とさせるマイコバクテリアが欠けているためである。また大腸がんはマイコバクテリアが存在しない場合、複雑化の原因となる可能性が大変高く、またその場合外科的に取り去られなければならない。

マイコバクテリアは、単細胞生物が存在したのと、ほぼ同じくらい長く、つまり動物や人間がいたよりもずっと以前から存在する。それらは明らかに、古い脳から司られている腫瘍を、治癒相の初めから乾酪化し、また解体するという役割を負っている。しかし腫瘍自体がその機能を果たして任務を終えた時、それらをマイコバクテリアが解体しなければならないように、葛藤が活発な相においては、同様にマイコバクテリアが増加している。

我々は現在、我々がマイコバクテリア(結核菌)、また「耐酸性の棒状菌」と呼ばれる(何故ならそれらが胃酸に全く影響されないため)、このマイコバクテリアをDHSの時点から保有していなければならないことを認識している!我々がそれらを葛藤の解決をみた後に得ても、治癒相において、この意味深い生物学的な特別プログラムのためにはすでに何の役にも立たず、その理由はそれらがただ葛藤が活発な相にのみ増加するものだからである。我々有機体は明らかに、(その友達であるマイコバクテリアとの共演において)ただのちに腫瘍の乾酪化に必要とされるのと全く同じ量の耐酸性の棒状菌を生成させる。それでいて我々お馬鹿さんたちは、結核菌を撲滅しなければならないと信じていたのである。

それに対し、バクテリアは大脳グループに属しており、大脳に司られているすべての器官と同様、(ここでは特に大脳髄床であるが)治癒相において細胞増殖する。そのためバクテリアはまた葛藤の溶融(葛藤の解決)が起きて初めて増加する。

ウイルス(?)はバクテリアのような自立した生物ではなく、ただ複雑な自分の体のたんぱく質の分子であり、それは(つまりただ葛藤の解決をみた治癒相においてのみ)増加し、また皮膚と粘膜の潰瘍の再構築の際に補助するものである。

我々は今、細菌が意味深くまた生物学的な過程において発展の歴史的に理解可能なもので、意味深い生物学的な特別プログラムに当てはめられるものと理解する。それらは、我々と共にまた我々のために成長してきたかのようである。それらは、我々が知らずにいた制御系の各要素である。しかしその自然の制御系は、我々魔法使いの徒弟たちが故意にいづれかの要素を抜き取るとき、機能することができない。そのように、我々「最新鋭の似非現代医学者たち」が成したことのほとんどすべてが、無意味なことであった。

第5の自然法則は核心である。それぞれのいわゆる病気を(発展の歴史的に理解可能な)意味深い生物学的な特別プログラムの一部であると理解する法則。

私は1981年に「がんの鉄則」及び 病気の2相性を発見し、また 1981年10月に教授資格申請論文をテュービンゲン大学に提出した時、 がんとの関連性を発見したと考えていた。

2年後私はさらなる研究の中で、がん性の病気だけでなく、すべてその他の病気も明らかにこの両方の生物学的な法則に添って進むことに気付いた。

1987年には、私は胎生学と行動学研究の基礎の上に立ち、第3と第4の生物学的な法則を発見することができた。私は嬉しい驚きを持って、医学全体のすべての病気はこれら4つの生物学的な法則で説明され、またこれら一つ一つの症例が再構築可能であることを確認した。この生物学的な視点を通じて、私はほぼ強制的にあるまさに息を飲むばかりの結論へと到達することになった。

病気を一つ一つの 子葉ごとに個別に観察してみると、私は明らかに生物学的な意味があることを確認した。私は、いわゆる病気は、闘わなくてはならないような、全く意味の無い自然の間違いを表現しているのではなく、それぞれの病気が意味深い現象であると気づいたため、それぞれ一つ一つについて質問することを余儀なくされた:どこからこの「病気」は発生したのか?それはどの生物学的な意味を持つのか?

私には、多くの病気の生物学的な意味はただ胎生学からのみ理解できるものであるということが明らかになってきた。さらに、我々が生物学的、社会的な相関関係をこの生物学的な意味の理解の中に組み込まなければならないということも確認された。最終的に私には、我々が「病気」の生物学的な意味を知らずにいたのであるから、これまでの我々の病気というものごとについての「病気」という用語を使っての理解は、そもそも間違いではなかったのかという質問が出てきた。

私は、いわゆる病気の生物学的な意味が子葉に依存していることの証明に成功した。これは、恐るべき重要な、またゲルマニッシエ ハイルクンデ®全体を理解するための、中心的な柱の一つである。そこから、私にとって以前の病気という用語についての、全く新しい命名学的な理解が得られた。この理由から我々はそもそも以前からの病気という意味で話す必要はなく、意味深い自然の特別プログラムとすれば良いのである。この特別プログラムの始まりは DHSであるが、それはすでにこの意味深い生物学的な特別プログラム (SBS)のスイッチを入れるための、意味深い過程なのである。

我々が間違って見ていた「病気」をもはや「悪性の物」、自然の故障、あるいは神の罰というように理解しなくなって以来、そうではなく意味深い生物学的な自然の特別プログラムの部分あるいは一つとして考えると、その時以来、それぞれのSBS の生物学的な意味に含まれる、自然で決定的な意味がそこに付与される。SBSはつまりある一つの意味深い生物学的な目的あるいは:SBSと共に何か意味深い事、あるいは意味深く、生物学的な必要欠くべからざる事に到達する。とりわけ、その生物学的な意味は、我々が観察したように(図式)、ある時は葛藤が活発な相に存在し、またその他の場合は葛藤が解決した相に存在する。ここに母なる自然は両方が可能であるように単に自由に選択したが、とりわけ古い脳に司られている器官は、大脳皮質に司られている器官とは、そのふるまいとして正反対にあるにも関わらず、様々な子葉のグループについて大変秩序正しく実現している:

古い脳に司られる器官はca-相において細胞増殖を成し、大脳皮質に司られる器官はca-相の際に細胞の減少を起こす。しかし我々は母なる自然が(真菌及びマイコバクテリアを参照)またすでに  DHS の時点からpcl-相を視野に入れていたという観点からの、生物学的な意味を忘れてはならない。そうしてDHSの時点から、マイコバクテリア(結核菌)は増え初め、しかし葛藤の溶融の時点で初めて任務に就くのであり、マイコバクテリアは後になって腫瘍の解体に必要な分量だけ「事前生成される」のである。

例:競争相手に取られないようにと、がつがつと飲み込まれてしまったある獲物が、大きすぎるために腸の中に止まってしまうと、そこでその個体は結石を病むことになる。この結石(この場合はDHSであるが)を伴なって、さて意味深い生物学的な特別プログラムのスイッチが入り、つまり前進的に成長する、すなわち上に向かってあるいは口の方向へ向かう大腸がんが発生する。それは、すばやい細胞増殖(現代医学的に言うと:強く細胞分裂的に成長し、大変悪性!)を意味する。同時に、同じようにすばやくマイコバクテリアが増加(その個体が少なくともその種のものを一つでも事前に持ち合わせていれば)する。生物学的な意味は:大腸がんは何百万もの特別に強力に消化液を生成するタイプの一回性の利用のための「使い捨て細胞」からなる。それは文字通り何リットルもの消化液を生成し、またそれにより大きすぎた獲物を解体し、小さくしてそしていつかそれはすべり通れるほど十分に小さくなる。それが葛藤の溶融となる。

この瞬間からマイコバクテリアが脳から指揮されて作業し始め、しかしまたそれ自体何百万年もの経験でどの(使い捨て)細胞を乾酪化して解体しても良いのか、またどれはいけないのかをわきまえており、また使い捨て細胞のみを掃除し、すなわち:腫瘍を再び解体する。このすべてが朝方の典型的な強い寝汗、またより高い熱、のちには微熱(より軽い)の温度を伴って起こる。それは単純に新しく発生した細胞のみが乾酪化によって解体されて引っ込むのであり、そしてのちには瘢痕板が残るのである。

患者は今、それを転化することを学ばなければならない。我々においては、この「消化できない獲物」による「醜く消化できない葛藤」は、通常もはや食物の塊ではなく、ある「転化した意味での消化できない獲物」である。すなわち:車、家、遺産、破産した事業あるいは負けた裁判などである。我々はしかし、我々に「醜く消化できない葛藤」を起こさせた、まだ消化できない食物の塊であるかのように、生物学的、「考古学的」に反応する。

比較可能な経過が、女性の胸において起きる:(生物学的な意味:ca-相

右ききの女性が母/子の葛藤を病むと、彼女の左の胸にせん様の乳がんが発生し、すなわち、乳腺の組織が増加する。生物学的な意味は明らかに、例えば事故によって今発達障害を起こしている、その乳児を助けるため、そこでより多くの母乳を得られるようにする。そのように、その有機体である母は、発生した損害を再び埋め合わせしようとする。葛藤が継続する間、いわゆる乳腺腫瘍は成長し続け、すなわち:母乳の増量が継続する。

その乳児が再び全く元気になるその瞬間になって初めて、葛藤の解決が起こり、つまり乳腺の増殖は停止する。後には空洞が残る。これは、多かれ少なかれ完全な液体で充填された空洞となるか、スポンジのようなあるいはスイスのチーズのような状態の薄くなった部分となる。どの場合でも胸は再びほぼ以前のような状態に見え、機能的にもまた、その時点での授乳の観点からも、また将来的な授乳の能力の観点からも全く完全である。当然この経過はいわゆる文明国の女性においては、ほとんどの場合授乳の時期でないときに起きる。

文明の進んだ女性が母/子の葛藤を、すでに授乳期を過ぎた後に病むと、その場合そのような乳腺腫瘍が増殖し、まだ子供ではあるかもしれないが、ほとんどの場合すでに乳児としては存在していない乳児に、より多い母乳をあげたいという手段を模倣する。

水と液体の葛藤(大脳-中胚葉)の際には異なり、ここでは我々は葛藤が活発な相において腎臓の組織に壊疽を認め、また同時に常に血圧の上昇を認めるが、しかしそれがその壊疽によって形成された腎臓組織の穴を、機能的に代替しようとするものであり、それによって十分な尿及び尿素を排泄できるようにするという意味を持っている。pcl-相においては液体で満たされた腎臓の壊疽からの突起物が形成される。これを我々は腎臓のう胞と呼ぶ。のう胞の内部では、その際ある強い細胞増殖が起き、その終わりには、9月後であるが、液体の代わりに固い、自らの血管のシステムを伴った細胞組織が成長する。この期間に、そののう胞は周囲にそこら中に「癒着」し、しかし後にはのう胞化(固化)し、自ら再び分離する。ここにおいては生物学的な意味はpcl-相にあり、すなわち残された拡大したものを伴い、腎臓組織的にも、また機能的にも治癒相の終わりである。何故母なる自然が、ここでそのように取り扱うのかを、我々はまだ完全には理解していない。可能性としては、存続するべきある真の腎臓柔組織的な、また機能的な器官の拡大は、素早く成長する、どのみちそう正確にできない「使い捨て細胞」の増殖の場合のように「急いで」はできないためかもしれない。これらの細胞はただ短い期間のために計画されており、のちにはどちらにしろ解体されるものだからである。

大脳皮質に司られているがんにおいては生物学的な意味は再びca-相にあるが、しかし古い脳に司られている器官の細胞増加に対して、ここでは全く反対に、つまり治癒相において再び構築される、層状扁平上皮粘膜の細胞減少が起きる。

しかしこれまで誰もこのことを知らなかったため、 pcl-相における壊疽や潰瘍の再構築あるいは再充填をまたがんあるいは肉腫と名付けたが、何故ならその際また大きな細胞と大きな核を伴った(しかしこれは治癒の手段としてであるが)細胞増殖(有糸分裂)が起きるためであった。現在我々は、我々が生物学的な葛藤のプログラムのこの相関関係と、とりわけ発展の歴史的な発生のメカニズムを理解していなかった間は、何故我々ががんの発生を一度も理解できなかったかに思い当たる。ラ メディシナ サグラダ、聖なる医学(スペイン人が言うように)がすべてをひっくり返し、それぞれの 事実因子以外には、何も正しいことはなくなった。

しかし、ただそれぞれの意味深い生物学的な特別プログラムがその生物学的な意味を持つだけではなく、精神分裂的な脳内配置の意味でのSBSの組み合わせもまた、翻ってある大変特別な生物学的な意味を持ち、ほぼある「上位の意味」ともいえるものを備えている。それによって、全く何か超越的な、世界感的あるいはスピリチュアルなことを意味しているのではない。母なる自然が持つ可能性とその可能性を行使したという事実であり、それは例えば明らかに見かけ上出口の無い状態において(例えば精神病者)、あたかも新しい次元を開くかのような、それによってその個体がこの重篤な状況を再び乗り越えるためのもう一つのチャンスを持っているというような事象である。またここにおいてもゲルマニッシェ ハイルクンデ®が治療的な看護についての新しい次元を開くこととなる。

 第5の自然法則をもってゲルマニッシェ ハイルクンデ ®は遂に完成された。それは核心あるいは第5番目のエッセンスである。我々人類は今初めて最も謙虚な態度で、ただ自然全体が秩序を成しているのみでなく、自然における一つ一つの手続きにも、さらに全体としての枠組みの中においても、意味があることを認識し、理解することができる。また我々は大きな驚きをもって、我々がこれまで「病気」と呼んでいたそれらの事象が、魔法使いの徒弟から修理してもらわなければならない、何か理由の無い故障だったのではなく、すべては全く無意味なもの、悪意のあるもの、病的なものではなかったことを理解するのである。

著作権はリュケ・ゲーアド・ハーマー医学博士に帰する

翻訳:日本語作業チーム