ポーランド語からの翻訳

ポーランドのある母親からの症例経験報告 (脳内のレベルは記録されていない)

学校の夏休みの開始-6月。私の4歳の息子は石の階段を転げ落ち、右脚の膝下の部分の皮膚にかなり深く傷を負った。それは機械的な損傷であり、ゲルマニッシェ ハイルクンデでは取り扱われない。

残念ながら傷は、子供たちが休みには常に走り回っており、汚してくるとという事情から治癒せず、傷の周辺に赤いリングができ、これを私と夫は膿毒症の始まりと解釈した。さらに私たちの年長の息子が2週間前に自転車で転んだ後、傷口の感染から病院に行き(私は、それらが自然に治るであろうと考えていたが)、彼は入院しなくてはならなかった。最終的に彼は強い抗生物質を処方されなくてはならず、傷は強い痛みの中で消毒され、縫い合わされた。そうして私たちは、自然治癒させることに失敗し、6月にはすべての傷と感染に対して敏感になっていた。

.さて4歳の息子の傷に、何か「尋常でないもの]が発生した時、夫(ゲルマニッシェ ハイルクンデを知らない)はこの傷を消毒することにした。病院の処置用の一連の現代医学の薬剤をもって、彼は4歳の息子を手当てしようと強制して言った。

「見てごらん、おまえの傷は汚れていてきたないぞ、バクテリアを追い出さなくては、そうしないと感染症が発生して傷は醜くなり、病院に行かなくてはならなくなるぞ。でも消毒すれば、傷はきれいになり、感染症は発生しないよ。」

子供は消毒する痛みを怖がって泣いた。私はその味方をして抵抗せず、ただ子供を力づけようと思い、これは必要だけどすぐに終わるからね、とだけ言った。その消毒は、この息子にとってDHSの瞬間だった。

子供は当時おそらく次の葛藤を経験したと考えられる:「攻撃と辱められの葛藤」、古い中胚葉から司どられている真皮の葛藤である。

我々の処置がまた次のDHS 、「触れられたくない」、「僕をつかまないで」、-つまり外胚葉の皮膚の部分の、上皮の別れの葛藤を起こさせたことも、可能性として除外できない。

この処置の後1週間も経たないうちに、私は上の皮膚(上皮)の上に、皮膚の中に深いしこりを伴った小さな白い玉に気が付いた。翌日には液体を含んだ水泡が形成され、そしてこの水泡は破裂した。皮膚にいくつもそのような変化が現れた。それらは大変小さかったため私は心配しなかったが、それについて原因は何かと考え始め、当初は疱瘡ではないかと憶測した。

その週の間、その皮膚の変化は治らず、おまけに化膿し始め、新たな様相を示してきた。また右側の足にも小さな膿疱疹(6月29日の写真)が顕われた。足にできたものは大変奇妙で、私にとって心配になるようなものであった。2日のうちに、そこには液体で満たされた大変大きなネイビーブルーの水泡が成長し、また足全体が膨張していた...

私は葛藤の種類と組織についてすでに当たりをつけいていたにも関わらず、それを見ていられなくなり病院へ行った。そこでは、医者は私に抗生物質のスプレーを手渡し、西洋オオバコの葉を乗せて様子を見るように勧めた。何か変わったことが起きて心配になったらまた来てくださいとのことであった。その医者は、靴を脱ぐときに発生する、強い擦過傷の水泡であると診断した。それは、その子供が靴でなく、すでに古くなり、履きつぶしているサンダルを履いていたので、間違いであった。

私は、その医者が納得のいく原因を言えなかったため、自分がこの問題について孤独1である(注意:症例報告の記録者は家族の中でたった一人のゲルマニッシェ ハイルクンデを知っている人だった)ことを知っていた。医者はまた、これらその他の皮膚の変化も同様に不可思議なため、検査のために子供を病院に残すべきとも示唆した。私は迷走神経系の相であることを知っていたため、ひとまず家で試してみて、そのあとまた連絡しますと約束した。

3日目夜に水泡が破裂し、水のような液体と膿が流れ出した。その液体は、黄色でまた臭い匂いがして、とにかく量が多かった。子供は歩けず、それは4歳児にとってはまさに悪夢であった。

 しかし痛みが彼を、おとなしく横になっているように強制し-彼はまったく動くまいと努力していた(7月1日の写真)

この時点から、私は経験豊富老女の言葉を信じ、この足を朝晩石鹸水で柔らかくして、夜間に西洋オオバコの葉を傷の上に乗せることを始めた。私はまた、深刻な傷をどのように治せるか情報を集めるために、インターネットで探し始めた。続く3日間はショスタコフスキのバルサムを試したが、それは傷を封印する1種の樹脂で、それにより香油の下に湿潤な環境を形成し、治癒の可能性を与えるものであった。

これはある対症的な処置(身体的な観点からの)であった。精神的な観点からは、我々は毎日この皮膚の変化について喜び、そして言った:「見てごらん、ほらもうこんなにきれいになったわよーもうじき消えてしまうのよ、わかるでしょ。」

家族の他の者は、子供を脅かさないようにと戒められた。これは私よりおばあちゃんの方が上手だったことは、私も認めている。

傷はまだ膿が出ていたため、このバルサムの使用で状況は改善せず、それはおそらく良い事なのだが、私にとってはあまり好ましくないもので、なかなか終わりが来なかった。途方にくれて私は田舎の方にある、医師の診療所に行った。

ここでは、経験の深い女性の看護師さんたちが安心させてくれて、これには時間をかけてください-時間が傷を治すのですからねと言い、そして子供の体温が上がったり、あるいは足が赤くなったらまたいつでも病院に来れば良いのですよと語った。そこで私にはプランBがあった。彼女たちは私にハイドロジェルの絆創膏の話もした。私はすぐに薬局でそれを一つ購入した。

4日目に炎症は鎮まってきた。子供は具合が良くなり、立って歩きたくなった。ハイドロジェルのおかげて、子供は立つことができた。私は特に一つの製品について宣伝したいわけではないが、このジェルは実際に大変役に立った。第一に患部は常に湿潤であり、排泄物と膿は清潔にされ、第2にこれは72時間交換しなくても良いことなどで、第3に私は水性ジェルを塗り、患部が汚れることなく、また包帯を変えるときに傷を切り裂くことなく、子供が普通に歩けるように包帯で巻いた。

72時間後には大きな改善が見られ、次の3日後には、組織の再構築がすでに完了したために、もう包帯をしなかった。ある殻のようなものが形成されたが、それが何か悪いものではないことを知っている場合、それはすべて問題が無い。1週間後に子供の足にはまだ赤いしみがあったが、6ケ月後の現在ほとんど視認不可能である。足と左脚、膝下の傷においては、おそらく軽微な瘢痕が残るであろう。

この位置の組織は完全には2再活性化しなかったように思われる。おそらくそれは私がそれらに3回抗生物質のスプレーをかけたので、バクテリアにチャンスを与えなかったためであろう...ここに、これらのSBSのすべての段階の写真が示されている。

この出来事は、私の一つのレッスンであった。私が、人が子供に子供言語で話すべきであることに気づいたのはこれが初めてではない。我々が傷の消毒を真剣にでなく、-おそらく何かもっとお遊びのようなことに、不安にさせないような何か他の話にすれば、我々は子供たちにおいておそらくDHSを避けられるかもしれない。子供は心で考え、理性からではなく感受性からそれを伝える。その子供にとって我々の不安は彼の不安であり、私たちが笑えば彼は嬉しいのである。

 現在子供は我々からのサポートと抱擁を一身に受けており、また私はたとえ冗談でも子供たちを脅かさないように、また日常生活の中での病気を引き起こすような状況を、可能性があれば常に、和らげるよう努めている。

 


エヴァ・ライメルのコメント:

1 –少年の母親は大変強いストレスに曝されていたが、それはゲルマニッシェ ハイルクンデを知らない子供の父親が、妻が「重篤な」症状を前にして「何か医学的なことをする」のを期待したためである。彼女は夫からはゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に相応するような援助は何も期待できなかった。すべての決定は彼女が一人で下さなくてはならず、その際夫は、彼女が必要な医学的な手段を取るという気持ちにさせる。

 それにより彼女の行動はむしろスキーのスラロームを思い出させる...少しだけお医者様、少しだけ自然療法...少しだけゲルマニッシェ ハイルクンデ...

それについて、両親ともが、ゲルマニッシェ ハイルクンデの知識を持つことがいかに重要なことか、私たちはビデオ、「ゲルマニッシェ ハイルクンデの療法士-危険な詐欺」の中で言及しています。

2 –自然は生物学的な経過に必要な時間をかけます...次の表現に注目すべきです:

「この位置の組織は完全には再活性化しなかったように思われる」

症例報告の記録者が再活性化のために「規定した」時間よりも、おそらく体はより多くの時間を要するのではないでしょうか...。