乳管の乳がんl - いわゆる乳管内腫
2000年1月1日
私は2~3年前からすでにゲルマンの新医学®に習熟しています。これが常に正確に当てはまるのを毎々確認できるのは素晴らしいことです:私自身と私の家族、そして友人たちや知り合いにおいても同様です。私の子供たちも、この確信を持って成長してきており、すでにこれを持って大変うまく対処するすべを知っています。彼らが時々葛藤に「つかまる」時、ほとんどの場合また素早く解決されており、彼らは私のところに来て報告します:「ママ、どうして今咳が出る(あるいは鼻かぜを引いている)のか知ってるよ、」あるいは「どうして膝が痛いのか知ってるよ」.....
そして時には、ある葛藤が直ちに解決されない場合には、小声で:「ママ、後でお話ししたいのだけど。」子供たちが、どちらにせよほとんどの場合すでに治癒相に入っている「病気」についての、別の理解をもって成長しているのを見るのは、本当に幸せなことです。基本的に我々は自分の反応について常に自分で責任を負っているし、子供たちと私自身でさえ、自分の葛藤から自分を守ることはできないのですが、それでも私たちがこれまでそれに対して別の対処ができるように学んでこられたと考えているのです。ゲルマンの新医学®にはまた、すでに葛藤が非常に活発な状態ではないが、低く変換された形で、しかしながらいつでもまた再燃する恐れのある、いわゆるひっかかった葛藤というものもあるのです。
私は そもそもそのような葛藤を自分でそれと気づくことなしに、10年間ひきずっていたのです。私は13年来、円満な結婚生活を送っており、二人の娘がいますが、私の望みはずっと、もう一人息子を授かることでした。夫は一人で稼いでいたため、この考えには賛同できませんでした。確かにもう一人子供を授かれば、彼は私と一緒に喜んだであろうと、私はそれについては確信がありました。そうして私は自分の心中の願い事を一度も諦めていなかったのです。経口避妊薬は、ゲルマンの新医学®の観点から見て止めておくべきだったため、私にとっては議題にも上りませんでしたが、それでこの数年間で時々妊娠したかもしれないと思うときがありました。事の次第がわかるより先に、私は直ちに妊娠チェックを行い自分で知ろうとしました。テストが否定的であれば当然私は落胆しました。その後の2~3日はそれを気にしていましたが、最終的にはその議題は済みとなっていました。夫にはこれについて決して一言も話しませんでした。
最近になってまたそのような状況が発生しました。私はいつも通りテストを行いましたが、今度はその結果に全く落胆しませんでした-それとは全く逆でした。私はつまり次のように考えたのです:「もう37歳よ、つまりもう一人子供を授かるにはほとんど「歳を取り過ぎているわ」。子供たちはそろそろ一番大変な時期から脱却しているし、今からもう一度最初からやり始めるのは、いやいや、それはもう望んでいないわ!」
私はつまり自分自身について、自ら驚きましたが、それは実際に私自身確信していることでした。数日後私は左の胸 (私は右ききです)が、大変痛む、つまり極端に敏感になっているのを感じました。翌朝、私はすでに赤い隆起部分ができたのを確認しました。胸は熱くなり、カニのように赤く、強く炎症を起こし、固く感じられました。また乳首は内側に引き込まれていました。私はそれが「ただの」乳管腫瘍 の治癒相であるだろうということを知っていたので、パニックには陥りませんでしたが、しかし私は自分で葛藤について明らかにはなっていなかったために心配にはなりました。
それは母か子供たちか、あるいは私の巣からの別れの葛藤に違いありませんでした。それでもその方向ですべて見渡しても葛藤は全く見つかりませんでした。しかし葛藤を見出すことは、葛藤がどれくらい継続していたのかを知るため、またそれにより葛藤の量を測り、その上で私が治癒相において何を予測すべきかを知るために、非常に重要でした。
大変長期間の、あるいは強度の葛藤の経過、つまり大変好ましくない乳管のがんの経過の後、当然ただゲルマンの新医学®の基準に添った形でですが、結果的に手術を受けるかどうかという検討さえしなくてはならない場合があるのです。
しかし、-万が一それが必要になったとしたら-私はどこにそのような手術を行う外科医を見つければ良いのでしょう。とにかく私にはまずは全体的にどうなるのか、様子を見ることしかできませんでした。私は炎症に対処するため、冷やす効果のある凝乳湿布を試み、追加的に頭の相応の場所に氷袋をあてました。
翌朝、赤変と炎症はさらに強くなってきました。赤変は今や胸の周囲8~9㎝のあたりに高く広がってきており、それでも痛みはいくらか我慢できる程度になっていました。私は時により強い刺すような痛みを感じましたが、それは非常に不快なものでした。私はまた、胸が外見上変形して、膨らんだ形になったという印象を持ちました。私はそこへ乳脂をすり込み、乳首に向かって優しくマッサージをしました。そして、さらに私は次のことに思い至りました:私の短期的記憶力が、関連して影響を受けていたのです。
私は 凝乳の湿布を合計で5日間行いましたが、夜間だけで、日中は氷袋か、あるいは冷やしタオルを大き目のブラジャーの中に入れました。6日後に赤変はすでにいくらか引いて来ましたが、胸はまだ大きく、固く、重く、また乳首は中に引っ込んだままでした。すべてを考慮してみて、私は当然自分自身に何度も問いかけてみました:一体何が自分にとって解決されたのか? その際もちろん私は妊娠テストの状況についても考えましたが、それでもそれ自体私にはあまりにも抽象的で、あまりにも大袈裟に考え過ぎだと感じられました。私は自分として不確かでした。最終的に私は、やはりゲルマンの新医学®に非常に良く精通している知り合いに頼ることにしました。ともかくも彼女から見ると、この一件に違いないであろうという考えでした
「センター」に問い合わせてもらったところ、この推測はまた正しいことが確認されました。それはまず、それほど抽象的に思われるけれども、実際にはそうでは無かったのです。何故なら私は、実際に私の「息子」と、たとえ精神的にだけであっても、完全に別れを告げたのですから。そうです、たとえ多くの人が想像もできないようなことであっても、そんなことが原因でそんなことが実際に起こり得るのです。
さて、その先はどうなったかというと:その知り合いは私に、凝乳湿布をキャベツの葉っぱの湿布に変えるべきと提案しました。私は昔父がすでに何か少しの痛みがあったときに、しばしば利用し、それで良い結果を得ていたことを思い出しました。そしてまたその提案も同様で、おそらく他の人たちにはおかしなものと思われても、私にとっては全く排除すべきものではありませんでした。
とにかく昔はキャベツは重用されており、またまさに万能の処方手段であった。ローマ人たちは6世紀の間その他の「治療手段」を全く知らなかったとさえ言われている。彼らはそれを内服用に、また外用に浄化手段として、また湿布として、傷の治療として、彼らの軍団で適用した。
ゲルマンの新医学®の観点からは、すべて治癒相なのですが、しかし治癒相に何かの手段で援助する,、あるいは和らげることに対しては、何も反対していません。強い咳の際には、少し和らげるために咳止めシロップを飲むこともあります。さて私は大変新鮮な緑色の、みずみずしいヴィルジングキャベツを用意しました。晩には何枚かの葉っぱを取り、良く洗って、太い芯は取り去り、そして葉っぱを粉もの用のローラーで平らにしました。それから私はそれらを私の胸に満遍なく広げ、水気があるのでさらにその上にラップをかけました。翌朝胸の表面がまずかなりしわしわになったように見えましたが、しばらくして再び平滑になったのを確認しました。赤変は消えており、引っ張り感はいくらか減少し、私は-あるいはほとんど信じ込んでしまったのか-胸が少し小さくなったのではないかとまで考えました。私はこの湿布をさらに続けて行い、またキャベツの葉っぱを12時間かさらに長く付けたままにして、より効果が浸透するようにしました。
すでに数日で、私は胸が実際により小さくなり、また再び柔らかくなったことを、喜びをもって確認することができました。私はまた乳首が大変ゆっくりと再び外向きに丸く出てきたのを見たときは、とても嬉しく感じました。同様に胸の内部の刺すような痛みも、ますます少なくなって行きました。それに引き換え、今度は痒みがひどくなりました。とにかく私はその行程をさらにしばらくは継続し、その間に胸にはときどき乳脂をすり込み、マッサージし、そして当然さらに冷やすことも続けました。
その後しばらくして、すべてが元のように再構築されました。この行程全体には合計で3週間かかりました。私が以前からすでにゲルマンの新医学®を知っていなかったなら、私に一体何が起こったのか、全く考えもつきません。おそらく私は現在手術され、きっと胸を全摘されるか、完全な損傷を受けていたでしょう。
いかに多くの助けてもらえるはずだった人々が、今日まだそんな目に遭わなければならないか、あるいはゲルマンの新医学®がすでに17年来、考えられる限りのボイコットをされ続けたのでなければ、すでに死んでしまった何百万人の人々は、死ぬ必要がなかったのか、それについて考えると、私に強い怒りがこみあげてきます。
それこそが事実上の人類史上最大のホロコーストなのです!。
K.G.
1 - ハ―マー博士は彼の発見を最初「新しい医学」と名付け、その後ゲルマンの新医学と改め、そして最終的にゲルマニッシェ ハイルクンデとした。ハーマー博士は彼の発見の命名について、この記事 の中で書き記している。