驚愕の皮膚のSBS(表皮)
私のSBS レッスン 7課
ポーランド語からの翻訳
ゲルマニッシェ ハイルクンデとの理論的冒険
私の人生で最大のゲルマニッシェ ハイルクンデとの冒険は、2017年の6月に始まった。私は血圧が大変高くなり、ある病院にたどり着き、そこから私は自分の生命についての不安と、毎日血圧を測りなさいと言う命令と、袋いっぱいの薬 を携えて退院した。私は、医師たちから私の「症状の訴え」の原因が何であったか、薬が私の体に何を起こすのか、そして私がいつ治してもらえるのかを聞くことはできなかった。私が関わった医師は、私を脅迫と冷笑、そして侮蔑をもって扱った。私は別の場所に助けを求めようと、探し始めた。
ゲルマニッシェ ハイルクンデの学習プログラムの第2段階を履修した私の女友達が、2017年の10月にエヴァ・ライメルが率いる新しいグループが開講されることを教えてくれた。最初の取り組みの後、私はゆっくりとこの知識に親しみ始め、また実際にすべての情報を吸収しようと、それに魅了され始めた。しかし私は以前と同様、不安な気持ちを持ち続け、その病院から処方された薬を服用し続けた。
数か月学習した後、私には気付くことがあった。
私は血圧を測ることを止め、薬を服用することを止めた。学習プログラムの第2段階の課程の後、私はその新しい情報の数々に益々魅了され、自分の中で何かが変わったことを感じた。私はそれが何なのかを表現することができないが、私にはその変化が集中的なものであることがわかっていた。そうしてゲルマニッシェ ハイルクンデとの最初の接触から一年足らずの時間が経過した。
実践ゲルマニッシェ ハイルクンデの冒険
PCL-相Aの症状
2018年の9月に私は、私の眼 が何かおかしいことに気付いた-両眼の端からの強い膿だれと、焼けるような痛み、そして赤変があった。朝目覚めたときに、膿でくっついた眼を開けるのが容易でなかった。このときは私は、ゲルマニッシェ ハイルクンデの知識から、以下の生物学的葛藤の、涙腺(内胚葉)の迷走神経系 の相であることを理解した:
- 「人が見る何かを、振りほどくという状態にない、またいまだに目の前にあって欲しくない」。(左目の涙腺)及び、
- 「人が見たいものを見ることができない」。(右目の涙腺)
数日のうちに上記の症状に加えて、両方の眼(外胚葉)の瞼に、異なった葛藤の内容を持つ、炎症と赤変が顕われた:
- 「希望した、あるいは希望しない、映像的なパートナー及び母/子の間の別れの葛藤」
それらの症状はより強くなった-強い水腫、強い眼球の赤変及び膿を含んだ涙。数日の後、膿を出し始めていた瞼の皮膚 が層をなして落ち始めた。学習プログラムの3回目のスクーリング(第3段階)の終了後、そしてエヴァ・ライメルさんとの会話の後も、彼女とは私の問題について詳しく話すことができたが、各症状はさらに続けて出ていた。
顔の左の頬の皮膚は、赤くなっており、また膿を出す大きな炎症を呈していた。眼の腫れ上がりはより強くなり、顔はぶたれたかのように腫れ上がった。
各症状は首の方向、下方へと「移動」し始めた。一晩でそれはどんどん強まっていった。私は不安になった。私はすでに10年ほど前に私に顕われた、それに似た症状(ずっと弱いものであったが)を思い出し、すべて私がすでに経験したことがもう一度繰り返されるのではないかと不安になった。
私はエヴァ・ライメルさんに連絡し、彼女は私に驚くべき辛抱強さと、驚くべき直感と全くの平静さで、私の体に一体何が起こっているのかを説明してくれた。私はそれが多くのSBSであることを、―そしてそれが「雪崩」のように起きていることを理解した。痛みはそれほど負担となるものではなかったが、私の形相が私を不安にさせた。私は不安と驚愕、そしてパニックを感じた。アルトゥールと話した後、私はさらなる葛藤の内容:「蔑まれ」の葛藤、「自分を醜くされたと感じる」葛藤に陥ることを防ぐために、鏡を見ることを止めた。
実践ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第2課
症状の度合いが強さを増す

私が顔の変化に慣れなくてはと考えた時に、首に大変強い症状が出た。最初に赤い斑点が中央の喉頭の高さに顕われ、それからこの範囲はどんどん外側へ広がって行った。私の母との電話の後、ある個所から大変強い腫れ上がりを伴う、紫色の斑点が急激に広範に発生し、首全体から胸元までを覆った。私はこの症状が体全体に広がるであろうという確信に至った。私は不安を感じた。この感情的な状態で、私が一体どのDHS の、どの葛藤の溶融がその時起きたのかを見出すことは不可能であった。
その少し後、私は熱を出した。私の首の表皮が割れ始めた。
少しでも動くと、空気が動いただけでも痛くなった。私は横になることも、歩くことも、立っていることも座ることも、食べることも飲むことも、シャワーを浴びることも眠ることもできなくなった...私はただ痛みだけを感じていた。一秒一秒、毎時毎時、痛みはどうにも我慢のしようのないほどとなり、冷たいジェルはただ一瞬症状を軽減させるだけだった。炎症はますますひどくなった。何故だろう? 腎臓集合管のSBSが活発だったのだろうか? この瞬間、私が自分自身の深い内側で、この症状を伴って置き去りにされ、一人ぼっちにされたという感じを抱いていたことを認めなければならない。このとき私は-昔からのいつもの癖で-どうしても今自分で何ができるかを知りたくなった。
エヴァ・ライメルさんは私に大変鋭敏に、しかし大変毅然として、すべて起こる事柄は私の感じ方1と関係があり、ただ私だけが次にするべきことを決定でき、私のみが自分自身と、私に起こる事象についての担当官であると言った。
これはゲルマニッシェ ハイルクンデの大変重要なレッスンであったー我々がこの状況で何を感じ、そして何が我々にとって最善なのかを、誰も知ることはできず、我々に言うこともできない。我々は自身で何をするべきかを感じ取るのだが、しかしそれは実生活ではそれほど簡単なことではない。
私はまた、このSBSでそれほど特徴的な、表皮の超敏感性とは何を意味するのかを理解した。その痛みは、我慢できる範囲(それはただ時折であったが)と、全く我慢しきれないほどの痛みとに分かれていた。これは実際私に24時間付きまとった。私は痛みで泣き出すほどであった。私が眠りに入れて、しばらくの間眠ることができた時には、それでもその痛みが私を起こし、私が疲れからまたしばらく眠りに落ちるまで苦しめ続けた。そのようにして、しばらく経過した。冷やすための首の湿布の中のヨーグルトは、瞬く間にカッテージチーズに変化した。首は腫れ上がり、大変熱く、赤く、またドキドキと脈を打った。膿を含んだ液体が首の表面全体に広がり、首を伝って下に流れた。私は常に冷湿布を取り換えたが、それもまた首に当てるときには痛みの原因となった。、
エヴァ・ライメルさんは私が連絡したときに電話で辛抱強く、私にそのような症状を起こさせる可能性のあるDHSを探すように迫った。DHSを探し出すために必要不可欠であった、質問に次ぐ質問で、彼女は私が探すのを手伝ってくれたが、脳内のCT写真を見ていて、表皮の迷走神経系の相と並んで、この別れの観点が活発な相にあるのかも知れないと憶測した! 別れの観点? 私には、私が考えていたよりもすべてがずっと複雑であることが分かった。表皮は5相から成り立っており、そのうち先に潰瘍を起こししていたそれぞれは、その後一つ一つの細胞が再び充てんされなければならない。それは体の細胞から生成されるたんぱく質による骨の折れる作業である。表皮の最も深い層が潰瘍を起こしている時には、真皮(古い中胚葉)が損傷を受けた後のように反応する。
私は同時にまた別のSBSが、私の体の中で様々な相において経過する可能性があることを実感した。同時に私は集中的な頭の脱毛と関係のある、頭の皮膚のSBS(表皮のSBS)が、いまだに活発な相にあった(ca-相は2018年3月以来続いている)。私は追加的に臀部のあたりと左のお尻の痛みにも悩まされ続けていた(自己価値喪失SWEのpcl-相)。私はつまり、私の脳の中で何が起きていたのか、どれほど体全体に負担をかけてきたのかを想像することができた。私はたんぱく質の豊富な食事を摂るように心掛け、薬は全く飲まないようにした。
実践ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第3課
虚脱
私を訪問した人々2の中でゲルマニッシェ ハイルクンデを知らない人たちは、この症状を見て黄色ブドウ球菌、レンサ球菌、天疱瘡、敗血症-感染及び私の内臓全体への危険について語った。それは私に疑い、虚脱、不安及び疑問を起こさせたー私は正しいことをしているのだろうか、ゲルマニッシェ ハイルクンデは真に私の試験を通るのだろうか?
あるいは、ひょっとして危険なバクテリアが私の体内で荒れ狂っているのでは? ひょっとして私の体全体はそれに感染しているのでは? それでも私は私の皮膚の大部分が、強い膿を出す過程を通過したのを見ることができた。私にはひょっとしてハーマー博士が言ったような、生命を脅かす嫌気性バクテリアが傷の中に存在していたのかどうかは全く分からなかった。私はこの重篤な症状を一人で乗り越えることができるのだろうか?私の症状は抗い難いものであった。私はすでに我慢の限界に達していた。
エヴァ・ライメルさんとアルトゥールは私に、我慢できない場合には迷走神経系の相を中断して外的な手段3を取る可能性を示唆した。私は、私がまたステロイド剤、抗生物質あるいはコーチゾンを服用しなければならないか、あるいは医者に行くか病院に行くかしなくてはならないのだろうと分っていた。
そして私は再び何年も前のこと、顔と喉の皮膚の最初の症状のときに、ある現代医学の医師が私にあるダイエットを処方し、軟膏とステロイド剤、それに口腔用抗生物質と注射を処方したことを思い起こした。私はすべてを受け入れたが症状が消えることは無かった。私は医者を変えたが、誰もがまた別の薬を提供した。これらの「治療」は約1年続いた。何年かのうちに症状は交替で顕われたり消えたりし、集中度は大きかったり小さかったリしたが、私は症状からできるだけ早く逃れるために、常に薬を使った。私は、私がまたそれに手を出したいのかどうか、決断しなければならなかった。私は自分がpcl-相のAに有り、それによってSBSの過程が中断されるであろうことをおおむね理解していた。それはしかし、ひっかかった治癒/迷走神経系の相と同じではないか?

この相を中断することが何一つ解決にならないこと、迷走神経系はどちらにせよまた戻って来るであろうという認識は、私にそれを乗り越えるための、またそれでもなお、症状を観察し続けるための力を与えた。私は自分がゲルマニッシェ ハイルクンデの知識を正直に、また真摯に受け止め、それを自分の身体で、そしてそれが実生活でどのように実証されるのかを検証しなくてはならないことに気付いていた。
私はもう一週間を切り抜けた。首の傷はその当時「焼けた鉄による火傷」の後のように見え、また全くそのように痛かった。しかしこの間、私は症状が顕われていた範囲がほんの少し変化したことに気付いたが、それは表皮が破裂した時、ふけのようになった時、そして滲出性の時として進行していくのを見た。それから痛みは次第に我慢できる程度になって行った。半分眠れた最初の夜、それが成功の時だった(!!!)
ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第4課
-癲癇性の危機(EK)
2018年の12月だった。私は強い痛みを感じて癲癇性の危機(EK)が来るのを待っていた。私には実際どれほど強い危機が来ようと、それを私が乗り切れるかどうかも、どちらでも良かった-私は単に癲癇性の危機(EK)を経験してみたかった。ある朝、私は奇妙な経験をした。何とか描写できるかどうか試してみる。毎朝の繰り言のように、私は何かを話そうとし始めたが、しかし私は自分が実際に話しているのか、あるいは私がただそのように思っただけなのかがわからなかった。水の中に居るように思われ、そしてすべてはゆっくりと過ぎていくように思われた。私はここに座っているのが私自身なのか、あるいは私にただそう思われるだけなのかがわからなかった。
私の体は後ろに倒れ、私はローマンに冷たい湿布を頭にのせてくれるよう助けを求めた。...私は約1時間ほど冷たい湿布をして座っていた(しかし私は自分が座っているのかがわからなかった)。
その後私は長く眠ったが、その間大変しばしばトイレに行かなくてはならなかった。私はこれが癲癇性の危機(EK)の症状を意味することを知っていた! しかしひょっとしてそれは違っていたのでは?私は確信が持てなかった。それほど集中的ではなかったにしろ、後にさらにそのような瞬間が何度かあった。

その後私はお決まりの作業を続け、首の膿の滲み込んだ包帯を変え続けた。包帯はいつも通り膿がいっぱいに滲みていたが、しかし包帯の膿のシミの範囲は小さくなって行った。この時私はただ食べては眠り、赤ちゃんの様だった。強い疲労感は私を文字通り圧倒した。
12月27日に私は旅行関連のお客様のために対応しなくてはならず、1月1日まで働き続けた。人と会う仕事だったため、私は首を布で巻き、それによって傷が見えないようにしなければならなかった。布が触れるのは痛かったが私には他に選択肢がなかった。布は傷をうまく覆った。夜には私は布を乾いた首から引き裂き、眠りにつき、朝にはまた仕事に行くために新しい布を首に巻いた。
何という驚きとショックだったろう(それは確かに最も素晴らしく、最も嬉しいショックだった)、私が1月1日の朝、ローマンが私の首を見て、嬉しくて笑いながら飛び跳ねていたのを見た時だった。私は鏡を見て収束した治癒相を確認した! 私の首!私の首はまた前と同じようになっていた!
それは全く言い表しようのない喜びである。体は完璧であり、葛藤の重篤さに応じて、しばしば大変長い時間を要するとしても、私たちの生き残りのために成すべきことをしてくれる。
実践ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第5課 -
PCL-B 、傷痍組織の相
私がゲルマニッシェ ハイルクンデを学んだ時、私はpcl-相Bには、この相においてはもはや何事も起こらないであろうと考えたため、全く注意を払わなかった。私は自分のpcl-相Bの間は、大変疲れた感じがして弱っていた。
首を見ると、有機体がこの位置でその行程を辛抱強く完了させるべく、まだ作業をしていることが見てとれた。迷走神経系のその時点と経過は、自然から勝手に決められており、またこの経過は有機体が罹患した器官部分の組織の再構築を完了するまで、相応の時間かかる。
現在では、拡大した首の耳下腺、あるいは顎下-リンパ節は明らかに触れられるほどであり、また視認可能である。私は私の体の反応をこう解釈している、(私はここではおそらく近くにあるリンパ節の自己価値喪失SWEとして反応したのであろう)。
何故それが大きくなったのか? 2つの可能性がある:
- リンパ節は、新陳代謝が高まったために炎症を起こしたが、それは近くに接している器官の病理組織学的な部分の迷走神経系の際に起こるものである。リンパ節がSBSの完了の後に再び小さくなるのであれば、これであったということを意味する。
- 再び小さくならない場合は、これはリンパ節自体がSBSの状態にあったことを意味する。
リンパ節は大脳髄床に属しており、また贅沢グループにも属しており、それは葛藤が活発な相において壊疽という形で解体され、一方治癒相の終わりには以前壊疽のあった位置に、SBSの前よりも、常により多くの組織がある。私は今ではこの症状の、生物学的な意味について理解している。私は今では不安から、感染症やリンパ腫であるなどと聞くために、医者に駆け込むことをしないが、それは私の賢い身体が何をしているのかを知っているからである。4
ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第6課 -
DHS探しと命名
私の場合では次のような事柄である:
- 両方の眼の涙腺における内胚葉の部分のSBS(「何かを見たくない」/「何か特別な見たいものを見ることができない。」)、
- まぶたのSBS(外胚葉 )
- 顔のSBS(外胚葉 )、
- 首のSBS(外胚葉)-表皮の最も深い層までの、主に、また最も強く喉頭 の範囲に顕われた、
- 臀部のSBS(新しい中胚葉)そして、
- 頭皮のSBS(外胚葉 )(パートナーあるいは母/子に関連する、「希望する別れの葛藤か、希望しない別れの葛藤」)そして
- 腰部の中央のSBS(新しい中胚葉)、SWE(自己価値喪失)。
顔、眼及び腰部の脊椎のDHSの葛藤の内容がよりす速く見出され得た一方で、首の葛藤の内容は謎であり、この解決のためには私はエヴァ・ライメルさんからの勇気付けが必要であった。
私の症状は雪崩のごとくで、一つまた一つと、あるいは同時的に、多くのSBSの活発な状態の終り呈していた。長年の間に葛藤の量が蓄積されて大変大きく、またそのため症状はさらに集中的なものになった。
ゲルマニッシェ ハイルクンデのおかげで、私がSBSのpcl-相のAを長年の間ステロイド剤と抗生物質で中断していたことが理解できた。顔と首の表皮の最初の症状は、昔何年も前を思い起こせば、私の父親が重病になり卒中の発作を起こした頃に顕われていた。
私は、父の容態の知らせを聞いて非情に大きな不安を感じたことを思い出す。私の父は左半身麻痺となり、失語症に陥った。父が生き延びられるのかどうかは確かでなかったが、神様おかげさまで父は生き延びることができた。
6か月後私は私の左の頬と首の表皮のpcl-相(今日では私はそれを知っている)の症状に気付いた。私は何か月か継続する強い抗生物質とステロイド剤の治療を施され、このような形で最初のpcl-相を中断した。それから症状がまた顕われ、私は再び薬理学上の薬物的手段を採用した。そのように私は幾度も同様に対処した。さて私がまたもやpcl-相に入り、しかしまた何故今なのか?
私はこの情報を調査官となったエヴァさんに渡した。私は自分のやりとりの中で、しばしば私の感情の主要なものであった自分の不安について語っており、私は何度も私の症状が何かこの不安と関連性があるのではないかと考えていた。
それは私の首のこの範囲であったが、私が最も頻繁に猛獣から狩りで攻撃される典型的な位置と関連づけて考えたその位置であった。それは丁度正確に彼の獲物の命を取るために、攻撃側が攻撃する(つかまえ、歯で噛みつく)その位置である。これは私が考える位置である:「不安が私の喉を捕らえた」、「私の喉をくくってしまう不安」、「私は不安で息できなくなった」...この領域は窒息と関連付けされた。
エヴァ・ライメルさんは、私の不安についての情報を無視せず、それどころかそれを追求していった。
引用:「私はあなたの「喉をくくられるような不安」についての考えはあまりにも飛躍しているとは考えない。あなたのお父さんに起こったことは、確かに不安と関連があったでしょう。そのような場合には、お父さんが声を失わなかったとしても、あなたは喉頭と関連づけるかもしれないのよ」。
父が病院から退院した時、父が話せなかったため、私は父と言葉を交わせなかった。私は、彼がこの先ずっと声を失ってしまわないようにと願った!父との会話が無く、父が私に何かを言おうとする時、父を見るのが辛く、父は自分が話したことについて確信を持っていたが、父の口からはただ発声のない音が出るだけだった。言語中枢は喉頭 の近くに有り、私の症状の数々はちょうど首のその位置にあった。
あるいはこの引用:「私は、ただの不安の感じがどれほど喉を押す線路となり得るのかはわからないけれど、私にはそれも起こり得ると思うわ。」
引用:「あなたのCT写真のシリーズの中で私は大変明らかに脳内の喉頭のリレーに顕われているHHの撮像を見つけました。それはDHSが感覚野にも運動野のリレーにも襲い掛かったように見受けられました」。
エヴァはさらなる可能性について提案した。
引用:「でもまだもう一つ他の可能性もあって、つまりあなたが昨年ゲルマニッシェ ハイルクンデに関わったことが、内的な変化を呼んで、おそらく内的な平静さに作用して、現在は大変集中的な迷走神経系を伴って戻って来た、そして「中断されることなく」経過している...しかしその量は単純に大変大きく、それであなたに重篤な症状が起きているのかもしれない。」
そうだ!この探索の段階では、これはとっかかりとしての可能性がある。私は、それについて良く考えてみよう。私のまわりの人々は、私の中に起こったその変化に気付いた。私もそれについて気が付いた。ゲルマニッシェ ハイルクンデは私から確実に不安を取り除いた。
実践ゲルマニッシェ ハイルクンデのレッスン第7課- 支援体制

患者、あるいは我慢する人とは、あなた自身である。SBS-症状の経過の中でただ一人、あなただけが自身の感覚、自身の身体を注視し、その時々の要求に応える人である。
ゲルマニッシェ ハイルクンデについての知識を全く持たない友人たちは、私のSBSの間にパニックに陥り、私に感染症や死の予告などをした。彼らはただちに私を医者と病院に送ろうとして、頭を叩いて私を馬鹿な女であると言い、私の決断を軽蔑し、それによって私を弱らせ、私を大きな不安に陥れた。これらの人々を避けることは、私を安堵させた。
支援の無い患者は、私の考えではチャンスが大変少ない。助けが得られることは迷走神経系の期間の前提条件である。大変幸運なことに、私はエヴァ、アルトゥール、そしてローマンの支援をあてにできた。
私は症状の始まりからいつでも相談でき、また私と一緒に彼女の経験と、ゲルマニッシェ ハイルクンデについての追加的な情報を提供してくれるときの繊細な感性、症状を解読する際の彼女の熟達度、彼女の素晴らしい探偵としての仕事、そして私が彼女を必要とするときはいつでも私のために居てくれるという、彼女の測り知れない直観力と存在感に対し、エヴァさんに深く感謝している。ありがとうございます。
アルトゥールは当初より、言葉で、知識で、存在で、会話で、辛抱強い翻訳とDHSを探すときの助けで支援してくれた-そして、マイン シュトゥデンテン メートヒェンを聞くことと、二度と鏡を見ないようにすることを私に思い出させてくれた。ありがとう。
ローマンは毎時毎時、毎日毎日、毎晩毎晩、辛抱強く間断なく私のために居てくれて、そして私がそれを乗り越えられる状態にあると、それが「治癒の」相であると、すべてうまくいくであろうということを繰り返し諭した。彼は今になってそれは恐しい姿であったし、私が苦しんでいるのは彼にとって大変辛かったと認めているが、彼はうまく乗り切ってくれた。ありがとう。
このひとつのSBSの経験は、私に辛抱と、痛みを受け入れること、不安を手なずけること、ゲルマニッシェ ハイルクンデを信頼すること、そして母なる自然への尊敬を教える。

私がハーマー博士の科学的な表を読むとき、あるSBSがどれほど挑戦的なものになる可能性があるかを、自分の経験から理解し始めている。我々はDHSを避けることはできないが、ゲルマニッシェ ハイルクンデの知識を持って、葛藤をできるだけ速く解決し、葛藤の量を軽減するべきことを意識する。これは疑いなく我々自身と我々の周りの関係者との付き合い方、我々の生活の質、生命に対する尊敬の念を変化させる。
そして今、私はオスカー賞の発表のときのように声を上げて言おう
ハーマー博士、あなたに感謝します
エヴァ・ライメルさん! あなたに感謝します。
アルトゥール、ありがとう!
ローマン、ありがとう!
あなたたちが居なければ、私のSBSを生物学的に乗り切ることはできなかったでしょう!5
そして私は両手を上げて手の中にオスカー賞ではなく、ゲルマニッシェ ハイルクンデのシンボルである クロッカスを持って捧げます。
ドロタ
エヴァ・ライメルのコメント
この症例では、すべてのレベル(精神-脳-器官)について質問可能でした。すなわち、脳内のCT写真があるのです。
この症例の正確な分析は、学習プログラムの第4段階の一部となっています。
私たちがハーマー博士のヘルプを得ることができなくなってから、初めてのSBSの経過について報告します。そのためこの報告書は、私たちが正しく理解し、家族の支援を得られれば、医者が居なくても、この知識を日々自分自身で使えるということを指し示す意味で、大変有意義な物です...。
私は、ハーマー博士がこの症例報告について大変喜んだに違いないと確信しています...
ハーマー博士が尽力したことの一つ:誰もが治療師の関与無しに、この知識を毎日自分自身で(家族の支えを得ながら)使えるようになること。
我々がゲルマニッシェ ハイルクンデの知識を考慮しても、時々は医療的なヘルプが必要不可欠になる(ハーマー博士によれば、全症例の3~5%という考えであった)が、しかし残念ながら我々は今日ゲルマニッシェ ハイルクンデの知識に基く、そのような支援を得ることはできない。
そのためSBSの経過の間は彼の直接の周囲の者がよく知った上で賢い決断を下すことが重要で... そこにある強い症状を乗り越えることはしばしば難しいが、可能である。
この記録の作者はこれをわかりやすく、透明な形で表現した。多くのコメントは不要です。
しかしながら症状体系の整理は正しくない。現代医学では首に添ったリンパ節と言うが、我々はゲルマニッシェ ハイルクンデから、首にはリンパ節ではなく鰓弓道があることを知っている。
その違いは病理組織学的な違いであり:
- 鰓弓道は外胚葉であり、
- リンパ節は新しい中胚葉である。
両方は、異なった葛藤の内容に反応する。リンパ節は軽微な自己価値喪失に、鰓弓道は正面からの不安である。
SBSの症状の経過は似ている。その違いとは:SBSの後にリンパ節は終わりにより多くの組織が存在し、つまりしこりが常に大きくなった状態で残り、その反対に鰓弓は治癒相の間にただ腫れ上がりを起こし、これはSBSの終わりに再び後退するものである。
ドロタは当時この違いをまだ正確に頭に入れていなかった。彼女のリンパ節のSBSの表現は正しいが、彼女はこのSBSに罹っていなかった。

ドロタさんの脳のCT写真は、彼女が正面の不安のDHSに反応していたことを示していた。すべての「不可思議」が通り過ぎた後には、彼女は正面の不安についても治癒相に入り...そのためその腫れ上がりが起きた。SBSの終了の後にはその腫れ上がりは消失していた。
彼女のSBSの数々は大変驚愕するものであったが、それはその前の迷走神経系の相の度重なる中断の結果であった。
このゲルマニッシェ ハイルクンデについての経験を公開させていただけることに、深く感謝します。
その点について、私はドロタさんに深く感謝しています!
このような症例経験報告にこそ、測り知れない価値があるのです!
1 - 感じ方:有機体のコード化された行動様式 に則した反応。
2 - 私の農業ツーリズムのお客様方
3 - 現代医学的な処置
4 - コメントを参照のこと。
5 - ドロタさんが学習プログラムの全体を事前にすでに履修していたのであれば、彼女はこれらをエヴァとアルトゥールからの情報を必要とせず、ローマンのたゆみない支援をもって一人でも乗り越えられたはずである。


