猫と共に生きる、私の人生
(女性、右きき、女性ホルモン優勢)

前置きとして、私の両親の家にはいつもペットが居ましたが、猫も犬も居ました。私が7歳だった時、父が可愛いテリアを家に持ち帰りました。私たちは彼をビㇺと名付け、私は彼と共に成長しました。私が20歳になったときに、彼は死にました。それは大変な痛みとなり、私は1ケ月間泣きました...それから私は落ち着きを取り戻せましたが、その避け難い喪失の痛みを再び耐え抜かなくてはならないことに、心の準備ができないため、2度と再びペットは飼うまいと心に誓いました。

 

そうして私は大変長い間ペットは飼いませんでしたが、私の9歳の娘がある日学校から家に戻ると、どうしても子猫が欲しいと、そして学校の友だちの家の猫が孕んでいると話した時まででした。お友達は誰か子猫を欲しくない?と尋ねたりもしたのです。娘のお願いを断れなくなりましたが、それはペットが子供にとってどんなに重要な意味を持ち、喜びを与えるかを私自身良く知っていたからです。

そして生まれて10週の可愛い真っ黒な子猫ちゃんが我が家にやって来たのです。大変長い間考えた末に彼はティモフェイと言う名前をもらい、短くはティシュカです。

家でする仕事についていたので、それにしても大変小さな雄猫ちゃんの母親的な世話は、私の役目になりました。私は最初の日々は彼が本当のお母さんがいなくて一人ぽっちと感じたため、お母さんをしてあげて、また-彼が少し慣れてきたときは-彼が退屈しているので、彼がくたびれて私に仕事をさせてくれるまで遊んであげて...、などなど...

端的に言えば、私たちは二人っきりで一日中家に居て、それによりお互いに大変密接な繋がりを構築していったのです。

そうしてほぼ1年が過ぎました。ティシュカはその間に素晴らしく美しく輝く黒い毛を持つ、大きな美しい雄猫になっていました。彼を自由に出入りする猫にしていましたが、私たちはお互いの繋がりを失いませんでした。毎回巡回した後、彼は急いて私のところへ戻り、自分の冒険について私に語るのでした。

2015年の5月18日にティシュカが車に轢かれたのです。ショックです! このとき夫は出張中でこの心の重みを幼い私の娘と分かち合うことはできませんでした。それで私は完全に孤立してしまいました。夫が出張から戻るまでの5日間、私は食事が全く喉を通らず6㎏の体重減少でした。私はゲルマニッシェ ハイルクンデをすでに知っていたため、自分が明らかに生物学的な葛藤に陥ったということが分かっていました。私はただ正確に一体何が起きたのかがわからなかったのです。ほぼ正確に1年後に、私は葛藤を解決し、症状が顕われました。

CT 2015年7月

ここに私がハーマー博士に宛てて書いた手紙のいくつかの抜粋を示します。(彼は当時私の脳内CT写真を眺めてから私に、これは乳管内部の経過です、と言いました。私がこれはただティシュカの死としか考えられませんと言うと、彼はしかし葛藤が大変長く継続したため、初めは確信を持てませんでしたが、私はティシュカの死の直後に撮ってもらった、2015年のCTも持っていました。2015年のCTには左の胸に活発なHHが見えるため、それによって私たちは葛藤の経過を検証することができました):

2016年6月のハーマー博士宛の手紙の抜粋:

...葛藤の経過について一言添えます:

私の雄猫ちゃんのティシュカと私は大変強い繋がりを構築していました。彼はまた「私の雄猫」でもあり、常に私の一足ごとについて回りました。私の娘でさえもティシュカにやきもちを焼いていたくらいです。

だが彼は残念ながら10か月しか生きませんでした。2015年の5月18日に彼は車に轢かれたのです。それは私にとって大変大きなショックでした。おまけにその時点で夫が出張中であった事が、事態を深刻化させました。娘が学校に行き、私が家で一人になると、私は心の痛みから叫び声をあげていました...それから私はしばしば台所の窓の前に座り、繁茂した庭の緑を眺めて泣きました。

当時私には、それが襲ったことがわかっていましたが、ただ正確に何が起きたのかは解りませんでした。(私は2009年からゲルマニッシェ ハイルクンデを学んでいます。)

私たちはまた大変すばやく猫の姉妹ちゃんたちを手当てしました。私の女子学生さん[仮称]、私の夫、私の娘、そして家の2匹の猫ちゃんたちが私の葛藤を低レベルに転換させるのを助けてくれました。

この年(2016年)の5月半ば頃、私は繁茂した庭の緑を見ていた時に、ティシュカの死がもはや当時ほど痛まず、ただひっそりとした哀しみだけが残ったのだという考えを何度も持ちました。

5月の終わり頃、私は左の胸にしこり(約4x3㎝)を発見しました。しこりの発見とほぼ同じ時に私は胸に軽い違和感を覚えました。

それから1か月が経ちますが、胸の違和感(くすぐったい、軽い痒みと引っ張り、押されると軽い痛みを感じる)は強まってきました。しこりの大きさは、自分で見た範囲では同じ大きさに留まっています。炎症は全くありません。

2016年12月のハーマー博士宛の手紙からの抜粋:

...お話ししたように、そのしこりはただ小さく固くなった状態で、胸の乳首のすぐ下に残っています。

また、この固くなったものが残ったとしても、それは私には特に邪魔になりません...

2017年2月のハーマー博士への手紙からの抜粋:

...追伸 私の胸の小さな残りの固くなったものは、12月の末までは感じられました;それは今完全に無くなりました。:-)現在胸は、以前と全く同じです。大きなしこりの影も形もありません。

そして素晴らしいと感じるのは-私に全く複雑化や重篤な症状が起きなかったことです。

おそらく私が常に僕の女子学生さんを聞いていて、家族(私の夫と娘)から常に大きな支えを得ているからでしょう:-)...

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私たちは当時、2015年の10月、2匹の猫の姉妹ちゃんたちを家に連れてきました:ティグラとアスカです。彼女たちはもう外に自由に出したくありませんでした。彼女たちもまた私がティシュカの死から抜け出すのを助けてくれました。

私たちがゲルマニッシェ ハイルクンデを知っているため、うちの猫たちは一匹も予防接種を受けていません。ティシュカもまた去勢されていませんでした。当初私たちはティグラとアスカも不妊手術をさせないでおこうとしましたが、それは大変難しいということが判明しました。長い間あれこれ考えた後、猫たちが盛りがついたときに、私たちは不妊手術をさせることに決めました。                                                                                                                                            

しかし私たちは、それぞれの猫たちが母になる喜びを経験することを望みました。残念ながらアスカは身ごもりませんでしたが、ティグラは身ごもりました。彼女は与えられた期間に美しい4匹の子猫ちゃんたちをこの世に送り出したのです。

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もともと、私たちはその1回のお産からただ1匹の雄猫ちゃんをうちに置こうと考えていました。しかし娘は、もう1匹の白い雌の子猫ちゃんをうちに置きたいと、私を説得しました。そうしてうちの猫ファミリーは大きくなって行きました。その時うちではティグラ、アスカ、ミシュカとシューシャを飼っていました。またアスカおばさんも愛情深く子猫ちゃんたちの面倒を見ていました。

うちの猫たちの間で、最初はすべて調和的に進んでいました。

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しかしうちの小さな盗賊たちが大変素早く彼女たちのエサ入れを空にして平らげ、アスカおばさんの分まで横取りできるようにと、おばさんのところへ行くことが習いになってしまいました。その際アスカは退散しました。初めは私は自然に解決するだろうと思っていました。残念ながら、そうはいきませんでした。アスカは気が狂ったようになったのです...彼女は自分の縄張りをマーキングし始めましたが、それは我々にはご想像の通り嬉しいものではありませんでした。さらに彼女は毎日私に、子猫たちと関わり合わなくても済むように、スイングドアの後ろの小部屋に入れて欲しいと頼むのです。加えて彼女は大きく体重が減少し、「風景の中の1本の細い腺」のようになってしまいました。

この時点で、私は私たちが何かしなくてはならないと判断できました。最初に私はアスカを食事のときに守ってやることを始めました。私は文字通り1か月の間、餌のときに猫の護衛に立ち、小さな盗賊猫たちをお行儀を良くすることを学ぶまで防御しました。しかしこの手段はもはや充分ではありませんでした。そうして私たちは猫たちを再び自由に出入りさせることに決めたのです。それはここまでの状況への大きな変化を意味しており、私たちはそれによってアスカに彼女の葛藤の解決への必要な援助を与えられたのではないかと考えました。

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そして実際-猫たちは最初は不安があったのですが、しかし大変素早くおいしい味に飛びつき、またほぼ毎日ねずみを捕まえる、まともな自由な狩猟動物になったのです。

うちの猫ちゃんたちは大きくなり、真に美しい美猫の標本に成長しました。

アスカとの状況もまた正常化しました。彼女は自分のすべての葛藤を解決でき、再び体重が増加し、再び彼ら両方と一緒にぬくぬくとすることさえできるようになりました。

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2019年の1月再びショックなことが:ミシュカが車に轢かれたのです! それ以来私たちはうちの猫を自由に出させません。幸い家は大きいので、彼らは窮屈ではありませんが、しかしそれでも可愛そうです。ただ私たちには他に策が無いのです。

私たちの夢は、高齢になったときうちの猫たちをまた自由に外に出せる、道路から遠く隔たった農家のような家で暮らすことです。

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現在私は頭の中で私の「子供たち」、ティシュカとミシュカの2つの墓石を抱いているのです。

CT 2020年
CT 2020年11月 (別の層)

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エヴァ・ライメルからのコメント

この症例ではすべて3つのレベル(精神-脳-器官)について質問が可能でした。

この明快で追認可能な報告に感謝します!

この報告書がゲルマニッシェ ハイルクンデに精通した人によりまとめられたことに、すぐに気が付きます

またこの報告書は、人生で、特にSBS の経過の中で、いかに家族からの支えが重要なのかを示しています。この支えがあるとパニックを遠ざけ、落ちつきと暖かく包まれた気持ちの中で一つのSBSがその終わりを迎えるまで待つことができます(それは強制的に「何もしない」ことを意味するのではなく、それぞれの相の症状を見守り、ゲルマニッシェ ハイルクンデで意味するところの必要なことをするのです)。

私たちは、私たちがゲルマニッシェ ハイルクンデを知っている家族に依存していることを常に意識するべきです!

この報告者が、家族が良かれと思ってすることを、支えとして受け取らなかったり、ゲルマニッシェ ハイルクンデ の知識を心にとめることがなかったら、どうなっていたことか、そのようなことが起こらないとは限りません...

残念ならが私たちは、このようにはいかない、多くの例を見てきました。

この報告書の執筆者は、まだいつも何匹も猫を飼っており、同じ家に住んでいます。今日でもまだ彼女が時々一定の 線路に襲われたとしても不思議はありません。

2020年の最近のCTではこの憶測を裏付けましたが、幸いなことに私たちはこのような場合に「Mein Studentenmädchen、僕の女子学生さん[仮称 ]を持っており、報告書の執筆者は今でも毎日、特に夜中にエンドレスでこれを聞いているのです。